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シグマ会津工場潜入レポート(その2)

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金属加工

工場の他の場所ではレンズ以外の部品も、もちろん製造されている。





シグマのレンズには多くの金属部品が使われており、これらを製造するための区画が工場内にはある。そこでは多くの工作機械が立ち並び、様々な部品を製造している。上の写真は巨大な多軸工作機だ。最新の機械は9軸もの作業を行えるらしいが、この機械がそうなのかどうかはわからない。9軸工作機は部品をどの角度からでも工作することができ、刃物を回転させることも、部品を回転させることも、自由自在だ。上の機械はそれぞれ5メートル前後もの大きさになる。手前の金属は穴がいくつか開いているので、射出成形用の金型を作っているようだ。




この写真には工作機のある部屋のだいたい半分が写っている。工作機は通路の両側にびっしりと並んでおり、正確な数は不明だが、おおよそ50から100もの多種多様な工作機がこの部屋にはある。




上は工作機で作られたばかりのレンズマウントである。手前の光っている部品は作業を終えたところで、奥の鈍い金色のものはこれから作業にかけられる素材だ。左上にあるロボットのアームが部品を工作機に入れたり出したりしている。




工場にあるのは全てコンピュータ制御のCNC工作機ばかりではない。いくつかの工程は手作業で行われている。上の写真は旋盤を使ってアルミ製の筒を作っているところだ。




合金の中にはとても硬く、通常の工作機では加工できないものもある。そんな金属を加工できるのが上に写っている放電加工機だ。

放電加工は以下のようなプロセスで行われる。まず、電極を加工面から取り除きたい形に形成し、加工したい部品とともに液体に沈める。その後、電極と加工面を近づけ、大量の電流を流し、放電させる。この放電によって部品の加工面が徐々に削られていく。電極と加工面は放電を繰り返しながら徐々に近づいていき、最終的には電極の形とぴったり合う加工面が出来上がる。

この加工にはとても長い時間がかかるが、部品がどんな硬さであっても電気を通す物質なら加工が可能だ。

シグマはさらにワイヤ放電加工機もたくさん使用している。ワイヤ放電も通常の放電加工と同じ原理で加工していくが、使用する電極は細いワイヤーである。糸ノコギリのような形のワイヤーに電気を流し、硬い金属部品を分離したり、形成したりする。機械から常に新しいワイヤーが供給されるので、ワイヤーが摩耗することで切り口に影響を与えるということはない。ワイヤ放電加工には大量のワイヤーが使われるが、使用済みワイヤーは裁断され、リサイクル業者に回される。




ネジはどうやって作られるか、考えてみたことはあるだろうか?打ち出しによって作られることもあるが、きちんとしたネジは上の写真のような専門の機械で作られている。写真はネジの原料となる金属の棒が機械に入っていくところである。作業は完全に自動化されており、製造したいネジの形状をプログラムすれば、あとは自動で金属の棒をネジに加工し、反対側から冷却液とともに排出される。ネジはザルで掬い取られ、冷却液と分離される。






これが作られたばかりのネジだ。上の写真はザルにたまったネジで、下の写真は山木社長の手のひらにあるネジである。

もちろんシグマも他の業者から大量のネジを購入しているが、それは通常の工業規格に合うものだけだ。レンズ内部で使用するネジは特製のものが必要である場合が多く、シグマは大量のネジを自社で作り続けている。




金属部品は加工が終わったら表面仕上げに回される。仕上げには通常の塗装、ビードブラスト、メッキ、アルマイトなどの方法があり、上の写真はアルマイト処理の工程の一部を行っているところである。

ここでアルミニウムは液体に浸けられ、電流を流すことで表面に酸化アルミニウムの硬い膜を作る。酸化膜ができたら着色し、その後に表面の細かな穴を閉じて保護膜を作る。こうすることで汚れが付着しにくくなるのだ。アルマイト加工を行う所は高温多湿で、あまり快適な場所ではない。巨大なタンクの中には酸性の液体がぶくぶくと泡を立てているが、換気がしっかりしているので、化学薬品の臭いなどはあまりしない。しかし、ここで作業している人たちは大変だろう。正直脱帽である。




私は表面仕上げのほとんどは自動化されていると思っていたが、いくつかの工程は手作業で行われていて驚いた。上の写真は、AF/MFの切り替えスイッチの塗装を手作業で行っているところだ。このような凹んだ場所の塗装はワイパーのようなものを使って塗料が凹みに残るようにするものだ。しかし、このスイッチに関してはそのやり方だと他の塗装すべきではない場所にも塗料が残ってしまうので、手作業が必要なのだろう。

この塗装で彼女が使っている道具も興味深い。一般的なブラシではなく、ピストンのない注射器のような部品を使っている。塗料はチューブを伝って補給され続けており、細い先端から塗料を染み出させて凹んだ箇所だけを塗装している。良くできているが、ここに座って一日8時間この作業だけをするのはさすがに大変だと思う。同じく脱帽だ。


プラスチック部品の製造

金属部品はこのくらいにして、次はプラスチックの製造を見てみよう。ここでは特に射出成形に注目したい。

名前からわかるように、射出成形は溶けた状態のプラスチック原料を、高圧で精密な金型に「射ち出す」ことで製造する方法だ。家庭にある電化製品の全てに、この方法で作られたプラスチック部品が最低1つは使われているはずである。カメラやレンズといった現在の写真撮影機器も、その中身のほとんどは射出成形されたプラスチックだ。




射出成形の利点は、製品の誤差をとても小さく保てることと、一度金型を作ってしまえば追加コストがほとんどかからず、部品ごとの単価を抑えることができることだ。上の写真は巨大な射出成形機と、その手前に置かれたプラスチック部品である。上部に写っている灰色のロボットのアームが成形後に部品を金型から取り外し、注入用に使われた穴に残ったランナーを切り離し、その後部品をカゴに入れていく。

プラスチックそのものは比較的安価な製品に多用されるので、シグマの射出成形機が金属加工機よりもはるかに高精度で動作すると聞いて、とても驚いた。これは一度金型が出来てしまえば、摩耗することはないので、高い精度をずっと維持できることが理由だ。それに対して、金属を加工する場合は常にカッターが摩耗していくので、CNC工作機を使っても、それを補正しながら高精度で加工することはとても難しいのだ。




上の写真は、射出成形機から取り出されたばかりのプラスチック部品である。この写真の部品は他のプラスチック部品と比べて比較的単純な構造だが、これを工作機で作ろうとすると大変な作業だ。射出成形が優れているのは、一度金型を作ってしまえば、飴玉を工場で作るように、これよりももっと複雑な部品でも、大量生産が可能な点にある。

かつてはレンズにプラスチックを使うのは問題が多かった。というのも、熱膨張の比率がプラスチックとアルミニウムとでは違うので、高温や低温の環境では部品が固まってしまったり、レンズ配置に影響を与えて、結果として光学性能が落ちてしまう可能性があったのだ。しかし、シグマが新開発したTSC(熱耐性複合材)はアルミニウムと熱膨張の比率が同じである。これはポリカーボネートとガラス繊維、金属繊維の複合からなっており、アルミニウムと同じ特性を持っているだけでなく、これまでの繊維強化プラスチックと比べてもより高い強度と弾性がある。動作する部品の品質が向上したことで、これまでのレンズと同じ強度をより小さな部品で代用することが可能になった。




射出成形はプラスチックだけではなく、プラスチックと金属を一つの部品として成形することも可能だ。上の写真では3枚の金属片がプラスチックと組み合わされている。この部品を作る機械はとても良く出来ていて、それぞれの金属部品を寸分違わず計算された位置に配置することができる。しかし、この部品をどうやって作っているかはお見せできない。山木社長は工場内を動画撮影することには、当然のことながら難色を示されたので、写真撮影しか行っていないのだ。通常であればこのような場所で写真撮影することすら不可能なので、それを許可してくれた山木社長には大変感謝している。




シグマによると、射出成形によって作られる部品の精度はプラスマイナス1マイクロメートル(1/1000ミリメートル)以下だという。もちろん、このような誤差を測定するには、同じ精度で部品を測定できる機械が必要だ。上に写っている写真がまさにそれである。この機械は針の先端にルビーのついた測定器を使うことで、マイクロメートル以下の精度でどの位置でも部品のサイズを測定できる。

シグマのような会社が金型を自社で内製しているのは普通はありえないことである。金型は巨大な高品質ステンレスの塊で、そこに穴を彫ってプラスチックの射出成形に使用する。レンズ生産に必要な精度を持った金型を作るのは大変で、何度も試作を繰り返さなくてはならない。一番大きな問題は、プラスチックそれ自体が温度によって大きさを変えるということだ。プラスチックは溶けた状態から固まるとき、元の大きさからかなり縮む。製品として必要なプラスチックのサイズは縮んだあとの大きさだが、それは金型に彫られた大きさよりも必ず小さくなるのだ。



金型の試作を繰り返している写真


CADは金型を作成するのに使われており、プラスチックの熱膨張も計算に入れる事が可能だ。しかし、部分によってプラスチックの厚さが変わったり、隣り合う場所から圧力がかかったりして、膨張や収縮が一定にはならない。そういった複雑な要因を完全に計算に入れるのは難しいのだ。

CADによってある程度のところまでは計算したあとは、手作業で試行錯誤を繰り返すしかない。しかもここで必要なのは、数マイクロメートルレベルの誤差の修正である。金型を作り、部品を成形して巨大な測定器で大きさを測る。少しでもサイズが合わなければまた新しく金型を作り、同じことを繰り返す。上手く行った時でさえ、2回から4回はこの試作を繰り返す必要がある。

たやすく想像できることだが、この作業にはとてもコストがかかる。金型は信じられないような精度で加工されなければならないし、その金型自体も硬いステンレス合金でできている。表面仕上げも重要だ。全ての作業が終わるまで恐ろしい手間と時間がかかる。

しかし、山木社長によれば、金型作成それ自体はとてもコストがかかるが、それを内製していなければ新しいレンズの開発はもっとコストがかかっていたかもしれないという。また、もし金型を外注していたら外注先とのやりとりやスケジュールを合わせるのに時間がかかり、新しいレンズの開発サイクルが今より遅くなっていた可能性もある。金型を内製することで製造コストを抑えられ、試作にかかる時間を短縮でき、その結果シグマは毎年新しい、より良いレンズを製造できているのだ。

プラスチック、金属、ガラスのそれぞれの部品ができたら、次はいよいよ組み立てである。組立作業は基本的に手作業で行われる。というのも、もしレンズ表面にわずかなホコリでも付着していたら、それを組み合わせるときにレンズに悪影響を与えるからだ。全ての組み立て工程はクリーンルームで行われている。作業員はナイロン製の白衣を着ることで、髪の毛や皮膚によってレンズが汚れるのを防いでいる。クリーンルームの空気はフィルターによってチリが除去されており、組み立て場では作業員がレンズに汚れが残っていないか光を通して確認している。








シグマ会津工場潜入レポート(その3)

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上の写真は一枚一枚のレンズを組み合わせてレンズ群を作っているところである。レンズの表面に接着剤をわずかに垂らしてレンズを接着する。その後、レンズに紫外線を照射し、接着剤を固定してレンズを組み合わせていく。

レンズ群を作ったあとで最終組み立てに入るが、その前にレンズの縁を黒く塗る工程がある。これによって、レンズ内の光の反射を減らすことができる。この工程はブラシを使って手作業で行われている。


最終組み立てと検査



レンズ群の組み合わせと、金属、プラスチックの加工が終わると、いよいよレンズの組み立てになる。上の写真は最終組み立てを行っているところだ。どのレンズを作っているのかは分からないが、広角単焦点レンズのどれかのように見える。

組み立て作業が全て終わり、レンズが完成すると、最後に待っているのは検査だ。レンズの検査と品質管理はシグマにとって常に大きな課題だったが、最近になって大きな変化があった。以前のシグマは無作為抽出したレンズをコダック製のセンサーを使用したMTF測定機にかけて検査していた。しかし、デジタルカメラの高画素数化が進み、従来の測定機では最新のカメラに必要な精度で検査ができなくなっていたのだ。

新しい方法を探している中で、シグマは優れた解像度を持つフォビオンセンサーを、フラッグシップ機のSD1で使用していることに気づいた。このセンサーを使って測定器を作れば正確な検査が行える。唯一の問題は、センサーがAPS-Cサイズで、多くのレンズが対応するフルサイズをカバーできないということだった。

この問題を解決するために、センサーを上下左右に動かして4回測定することで、フルサイズの範囲をカバーすることにした。このシステムを開発したのはシグマの若いエンジニアなのだが、残念ながら彼の名前を山木社長に聞くのを忘れてしまった。彼はハードウェアとソフトウェアを統合させたシステムを作り出し、それが最終的にシグマのA1測定機システムとなった。

A1の中にはフォビオンセンサーと、それを動かす可動部分があり、測定時にフルサイズの範囲をカバーするよう4箇所に移動する。もし、レンズがAPS-Cやミラーレス対応だったら、センサーは中央に位置したままで動かない。機械の前面にあるマウント部はいわゆるユニバーサルマウントになっており、測定するレンズに合わせてフランジバックを変えられるので、シグマ用、キヤノン用、ニコン用、ペンタックス用、ソニー用(AマウントとEマウントの両方)、マイクロフォーサーズ用と全てのレンズを使い分けることができる。

残念ながら、A1システムの写真を撮るのは許可されなかった。ここで行われていることはシグマの品質管理の要であり、一般に出していい情報ではないからだ。

A1システムの優れたところは、システムそのものの性能だけではなく、その使用法にある。シグマのグローバル・ビジョンのレンズは100%全てがA1で検査され、基準を満たしていないレンズは出荷されないのだ。私が知るかぎり、ここまで徹底した検査を行っているのはシグマ以外にはない。

グローバル・ビジョンのレンズの品質のばらつきは、他のメーカーのレンズと比べて、驚くべきほど低い。現在までにA1は30台ほど製造されており、全てがレンズの検査に使用されている。また、A1の台数も今後増やしていく予定であるという。

山木社長によると、A1を使うことで、解像度のごく僅かな違いや、レンズの偏心を見つけることが可能になったという。シグマのレンズは、同じクラスのレンズと比べてより解像度が高いことが特徴だが、A1システムの導入によって、グローバル・ビジョンのレンズはこれまで以上に設計通りの性能を発揮するようになった。山木社長は、A1の導入によって品質管理が厳しくなり、結果として生産量は落ちてしまったが、これまでよりも均質な性能のレンズを出荷できてとても喜んでいるという。

会津工場のビデオ撮影

工場見学の間は、通常では行けないようなところも見ることができたし、撮影の許可ももらったが、動画の撮影許可されなかった。しかし、シグマ自身が会津工場を紹介するムービーを作成しているので、まだ見ていない人はぜひとも見てほしい。私がこれまで見た中で一番美しいビデオだ。今回の記事で紹介した場所や工程もいくつか映っている。



シグマのおもてなし

山木社長とシグマの方々は、滞在中とても親切に歓待してくれた。工場ツアーのあと、私は会津にある芦名旅館に招待された。旅館とは日本の伝統的な宿泊施設のことで、江戸時代に街道を旅する人々のために作られたのが始まりだ。現在では多くの旅館が西洋化してしまっているが、芦名は今でも伝統的なままで、部屋には畳が敷かれ、座椅子と卓袱台以外には家具はなく、男女別に分けられた温泉がある。慣れ親しんだベッドではないことが長旅で疲れた体には心配だったが、座布団を4つ並べて横になったら快適だった(笑)

夕食を食べている間、芦名のスタッフは部屋に布団を敷いてくれた。床に敷かれた布団は最初固いのではないかと思ったが、とても快適ですぐに眠れた。それはひょっとしたら夕食中にたくさん飲んだ日本酒のせいだったのかもしれないけれど。




旅館の特徴は何よりも美味しい食事で、芦名の夕食は特に素晴らしかった。正直に言うと私は、たとえ新鮮であっても日本食は味が薄く感じてあまり得意ではないのだが、芦名の食事は全く違っていた。若い女将のあろなさんが囲炉裏で焼いてくれた料理は本当に素晴らしかった。あろなさんはとても親切でやさしい女将で、英語も堪能なので、私は自分が何を食べているのかちゃんとわかった。これは日本ではなかなかありえないことだ。この日の夕食は私がこれまで経験した中でも一番素晴らしいものだ。あろなさんはとても気配りがきいて、私たちは何かを頼んだという記憶が全くなかった。必要だと思った時には、もうそれはそこにあるのである。日本がチップを受け入れない文化なのはとても残念だ。アメリカの基準で考えれば彼女はそのサービスにふさわしいだけのチップをもらえるはずである。芦名のオーナーがこれを読んでいたら、ぜひとも彼女の給料を上げてもらいたい。

上の写真は夕食の最初のコースだ。左にきのこ、オレンジの器に枝豆、それから何か辛口ソースに乗ったタコのようなもの、刺し身と、生肉である。右側の手前にあるのは刺身用の醤油と、生肉用のソースである。この肉が何の肉かわかる人はいるだろうか?なんと馬肉である!最初は馬肉を食べることに躊躇していたが、一旦食べてみると、今まで食べてきた中で一番美味い肉だと思った。これは本当だ。もちろん、多くのアメリカの読者はこの話を聞いてぎょっとするだろうが、馬だということを気にしなければ、とても柔らかく美味しい肉だった。聞くところによると、会津地方では古くから食用に馬が飼育されているらしい。私自身は馬は食べ物ではなく、友人だと思っているが、その味の素晴らしさは認めなければならない。




上の写真は私たちをもてなしてくれたあろなさんである。手前にいるのがシグマのヨーロッパマーケティングのマネージャーのしんじさんで、ちょうど岩魚の塩焼きを出されているところだ。この魚はちょうど夕食が始まった時に焼き始められたもので、一つ上の写真に写っているのがわかると思う。地元でとれた岩魚で、竹串に刺されて囲炉裏にくべられていた。とても美味しく、特に焼けた面は上質で豊かな味がした。日本では魚は頭から食べるのが普通とのことで、私は尾びれを残して全部いただいた。頭部は特においしかった。

夕食の間、たくさんの地酒もふるまってもらった。私は実は日本酒の大ファンで、一番好きな酒の一つだ。ここアメリカではごく限られた日本酒しか手に入れることはできず、それらも大手メーカーが輸出用に作っているものばかりだ。日本では数百から下手すると数千もの小さな酒蔵があり、それぞれの地域でしかそのお酒は飲めない。これはアメリカの田舎のパブで、それぞれの職人が地ビールを作っているのと同じかもしれない。もちろん、日本の酒蔵はそこだけでしか酒が飲めないわけではなく、地元の酒屋やレストランに酒を卸しているのだと思うが。

私たちはこの晩、5種類の地酒を堪能した。それぞれ小さな地元の酒蔵によるもので、そのどれもが素晴らしかった。それぞれ違った特徴があり、炭酸が加えられているものもあった。




夕食の間、まめわかさんとつきのさんという二人の芸者さんにもてなしてもらった。アメリカでは芸者というとエキゾチックで性的な意味合いが強い事が多いが、実際の芸者はエロチックというより、気のいい親戚のおばさんに近い。彼女たちの主な役割は客と楽しい会話をし、芸を披露することである。性的な雰囲気が全くないとは言わないが、まめわかさんとつきのさんの場合は、夕食をより楽しいものにしてくれる存在であった。二人からは、現代の芸者の生活がどんなものなのか、たくさん教えてもらった。

夕食後に、二人は伝統的な日本舞踊を披露してくれた。正直に言うとこういうものを見慣れていないせいか、あまりよく意味がわからなかった。踊りはとてもよく構成されており、一つ一つの動きが象徴的で日本の伝統的な話を再現しているらしかった。もしそれぞれの踊りの背景にある話を知っていれば、もっと楽しめたのかもしれないが、私には今一つ良くわからなかった。しかし、踊りを見てるだけで、まめわかさんとつきのさんがその踊りにどれだけの時間を費やして練習してきたのかよくわかった。その優雅で正確な動きを見ているだけでとても楽しかった。上の写真は踊りを披露するつきのさんである。彼女は他の芸者と比べても若く、当然ながら親戚のおばさんのようには見えない。

芦名旅館の全てがとても素晴らしかった。もし読者の中で会津・磐梯山方面に旅行に行く人がいたら、この旅館をぜひおすすめしたい。日本のおもてなしの本当の姿をここで体験することができる。もし宿泊するのなら、イメージングリソースのデイブさんから評判を聞いたと話してほしい。


おわりに

初めから終わりまで、今回のシグマ会津工場の訪問は素晴らしいものだった。最初にも書いたように、私は工場見学が好きであり、今回山木社長が工場の全てを見せてくれたことは、今までで最高の体験だった。シグマは最初、安価な互換レンズメーカーとして出発したが、先代の山木会長と山木社長が方針を決めてからは、デジタル時代の需要を完全に満たす、世界最高のレンズメーカーへと変貌を遂げつつある。その変化の結実の一つが18-35mm F1.8 DC HSM Artレンズであり、これは私たちがこれまでテストした中で最高の広角レンズだ。どんな単焦点も、高価なレンズも、このレンズの性能には及ばない。また、その後テストした120-300mm F2.8 DG HSM Sportsレンズも素晴らしい性能であることがわかった。

私がこれまで見学してきた工場のほとんどでは入場の制限がかかっており、実際に見ることの出来る製造現場は見せかけであることが多かった。シグマの工場では私はどこでも自由に見学できたし、どの工程もじっくり観察することができた。唯一入らなかったのはクリーンルームだが、それもあの白衣を着たあとだったら見ることができたはずだ。これまで読んできた人ならわかると思うが、私は今回シグマの会津工場で目にしたものに、とても感銘を受けた。これから先シグマが開発するレンズが18-35mmや120-300mmと同等の優れたレンズになるだろうということを、私は確信している。

今回のツアーで私のために時間を割いていただいた山木和人氏と山木しんじ氏にあらためて謝意を表したい。その親切と、もてなしに感謝する。ありがとうございました。




Photo Life マガジンによる山木社長インタビュー

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山木和人氏は2012年にシグマの最高経営責任者に就任した。シグマは1961年に設立され、以来50年にわたって彼の父である山木道広氏によって経営されてきた。山木和人氏がカナダを訪れるということで、Photo Lifeマガジンは氏と電話インタビューをする機会を得た。


レンズを設計する上で困難なことは何ですか?

デジタル一眼レフは画素数をどんどん増やし、解像度がますます高くなっています。レンズもそれに対応できるよう、高い解像度を持っていなければいけません。その中で、スペック、光学性能、サイズのバランスをとるのはとても難しいです。仮にとても性能の良いレンズを作ったとしても、あまりにも巨大だったら写真家には歓迎されません。また、標準ズームレンズは最も開発が困難なレンズです。広角から中望遠までカバーしつつ、適切なバランスを保たなければなりませんから。


シグマは新しくレンズのカテゴリーをArt, Contemporary, Sportsに再編しました。これはなぜでしょうか?

私たちはかつて小型のズームレンズを作っていました。とてもコンパクトだったのですが、収差は他のレンズよりも多くなってしまいました。レンズ設計というのは基本的には物理の法則に従います。そこに魔法はありません。小さなレンズを作ればそれと引き換えに収差が残る。仮に他に優れた部分があっても、ユーザーはやはり不満に思います。なので、それぞれのレンズの背景にある考えを、はっきりと示す事が大事だと考えました。

Artラインは光学性能に特化しています。なので、他のレンズと比べて少し大きく重いかもしれません。Contemporaryラインは毎日使われることを想定しているので、大きさやサイズも使いやすいようにしています。

しかし、カテゴリーを分けたのにはもう一つ理由があります。私は以前いくつかの開発部門で責任者として働いていました。実際に私は機械エンジニアとしてキャリアをスタートしています。それゆえ、それぞれのエンジニアに明確でわかりやすいコンセプトを伝えられたら、皆が混乱しないで良い仕事ができるということを知っています。なので、カテゴリーを分けたのは単にマーケティングの問題だけではなく、社員がしっかりと目的を持って開発に取り組めるという意味もあるのです。



先日マウント交換サービスが発表されました。ユーザーの間でマウントを行き来することが増えているのでしょうか?

フィルム時代はユーザーは一つのマウントに固執する傾向がありましたが、今はずいぶん変わりました。マウントを変更したり、複数マウントを持つユーザーは増えています。


シグマは新素材TSC(耐熱複合材)を導入しました。このことによるメリットは何でしょうか?

私たちはレンズに金属と複合材の両方を使っています。それぞれ素材ごとに長所はありますが、精度がとても高いという点ではプラスチックの方が優れています。しかし、プラスチックには熱に弱いという欠点があります。それゆえ、アルミニウムと同じ特性を持つプラスチックを開発してくれないかと、業者に頼んだのです。


TSCを使い始めてから2年が経ちますが、レンズ性能が変わったということはあるのでしょうか?

通常、プラスチックと金属部品を使う場合、接合面に遊びを持たせる必要があります。レンズは極低温下や高温下で使用される可能性があるので遊びがいります。TSCは金属と同じ特性なので、接合面の遊びも最小限に留めることができます。このことによって光軸をより正確にコントロールでき、より性能の高いレンズを作ることができるようになりました。


ここカナダではシグマのMerrillシリーズのカメラを見かけることはあまりありません。シグマのカメラについてどのようなマーケティングプランをお持ちなのでしょうか?

シグマは私の父によって設立されました。そして、カメラを作ることが私の父の夢でした。彼の夢はシグマをカメラシステムを作れる会社に成長させることだったのです。私は彼のビジネスを引き継ぎましたが、同時に彼の夢も受け継いでいます。私たちは「シグマをカメラシステムを作れる会社にする」という父の夢を追い続けますし、新しいカメラの開発もやめません。

カメラシステムを提供できるのは私たちにとっても大きな喜びです。なぜなら、システムを通じて、私たちは会社の哲学やメッセージを皆さまに伝えることができるからです。


山木社長はTwitterでの活動でも有名ですが、ソーシャルメディアはどれほど重要なのでしょうか?

シグマは小さな会社です。しかし、とてもユニークな会社だと思っています。私はシグマを特徴のあるブランド、個性のあるブランドにしたいのです。それゆえ、私にとって、ユーザーの皆さまと直接コミュニケーションを取り、私たちの哲学や考え、使命やビジネスについて語っていくことがとても重要だと思っています。





さようなら、カメラたち

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元記事:GOODBYE, CAMERAS



去年の10月のことだった。ちょうど紅葉が始まる前に、僕は日本の和歌山に6日間のハイキングに出かけた。熊野古道とよばれる、かつて日本の皇族たちが参拝を行った山道を巡る旅だ。

僕はその旅に、高性能なカメラを持って行った。カメラは自分にとって必要不可欠な表現のための道具だとずっと思っていたので、持っていくのに何の疑問も持たなかった。けれどもその旅から帰ると、僕は一つのことを確信するに至った。

自分にとってカメラはもう必要ないものだし、それは僕以外のほとんど全ての人にとってもそうだ、ということ。

もう、ほとんど人たちは既に、カメラを使わなくなっているのだから。


僕のカメラへの情熱は10代の頃に遡る。本気で写真を撮り始めたのは、2000年に大学生として東京に留学してからだ。その当時の東京には中古カメラ屋がたくさんあり、店には埃にまみれて油っぽい、傷や凹みのあるボディやレンズが数多く並んでいた。平日の午後になると僕はそれらの店を見て回り、生意気にも、あるカメラが別のカメラよりいい理由を聞いて回っては店主を不機嫌にさせていた。心の底ではライカM3が欲しかったんだけど、当時はボディだけで15万円もしたし、良いレンズはその倍の値段だった。学生だった僕は結局、ニコンのF801を選んだ。F801は1988年の発売当時は「未来のカメラ」と騒がれた機種だ。僕はそれに安い50mmレンズを付けて東京から福岡までヒッチハイクで回る一ヶ月の旅に出た。僕のバックパックは適切に露光されたフィルムで一杯になっていった。

僕はフジのベルビアしか使わなかった。彩度の高いあの色に惹かれたのと、ISO50で撮ることに挑戦してみたかったからだ。ISOが低ければ低いほど光への感度は悪くなる。なので、撮影は難しくなるんだけど、滑らかで光り輝くような画像が撮れる。それに対して、ISOが高いフィルムはほんの少しの光でも実用的な写真が撮れるんだけど、画像は荒く、まるで紙やすりのようにざらついている。フィルムを現像に出して返ってくるのを待っている時は、不安と期待が入り混じった複雑な気持ちだった。僕がファインダー越しに見たあの景色は、しっかりとフィルムに焼き付いているのだろうか?懸念は杞憂に終わり、僕は何百もの美しい、浮世離れしたスライドを受け取り、何週間もの間それをずっと眺めていた。


その二年後、僕はeBayを使って中古のハッセルブラッド500cを手に入れた。有名な中判カメラだ。このカメラはマニアの間ではウォルター・シラーが1962年にマーキュリー号で宇宙飛行した時に持っていったカメラとして有名で、NASAはこのスウェーデン製のカメラを長い間宇宙で使い続けた。

中判カメラはフィルムサイズにもよるけれど、35mmフィルムの2倍から6倍もの大きさのフィルムで撮影ができる。カメラのサイズは大きくなるし、持ち運びも不便になるけれど、被写体の細部まで精緻に写し撮ることができる。例えば、1メートルくらい離れた所から硬貨を手にしている男性を、同じ焦点距離で、iPhone、35mmのカメラ、中判でそれぞれ撮ったとしよう。iPhoneで撮ったら男性が硬貨を持っていることは確認できる。35mmだったら、それがどんな硬貨かはっきりわかる。でもハッセルブラッドだったらそれの製造年がいつなのかまでわかるんだ。

ハッセルブラッド500cを実際に手にとってみると、ただの箱にしか見えないカメラに、どうしてあんなに大金をはたいたのか信じられなくなる。ハッセルは実際にただの穴の空いた箱にすぎない。背面にフィルムがセットされ、前にレンズを付ける。シャッターはその間にあり、それを開く時間によって、どれくらいの光がフィルムに届くのか調節できる。ほとんどのカメラはその機能が自動化されて、ただの箱以上の装置になっているんだけど、ハッセルは違う。電子部品もないし、オートフォーカスもない。露出計もなければフィルムを自動で巻き上げることもできない。フィルム一つで12枚しか撮れない。でも、それはとても美しく作られている。全ての部品が堅牢で、精密に組み合わさるようにできている。


カメラの機能そのものがとても単純なので、ハッセルブラッド500cで撮影する時は、他のカメラとは違ってとても慎重にならないといけない。まず撮影の準備をする。深く息を吸い込み、光や影や被写体が最高の条件を狙ってシャッターを切る。布幕が開き、そして重苦しい音を立ててシャッターが閉じる僅かな間に、僕は祈りの言葉をつぶやく。その感触はまるでカメラが入ってくる光の光子をモグモグと食べているかのようだ。僕はハッセルと良いレンズで撮られた写真を眺めるのが好きだった。今そのカメラは僕の机の上にただ置かれているだけだ。頑固なまでに単純化されたその機構は、デザイナーであるシクステン・セゾンが追求した、ミニマリズムの記念碑だ。


2004年の暮、大学を卒業した僕は、お金をかき集めて最初のデジタルカメラ、ニコンD70を買った。ニコンF801と基本的に同じカメラなんだけど、一つだけ違うのは光はフィルムにではなくセンサーに届くということだ。これはたいした違いではないかもしれないけれど、僕にとっては不安の種だった。何千とまでは行かないにしても、何百ものモノクロフィルムを、換気が十分じゃない、薬品にまみれた大学生用のアパートで、僕はずっと現像してきた。ハロゲン化銀の中からぼんやりと現れてくる画像、手についた酢酸の臭い、それを失うことを、僕は悲しく思わないだろうか?


しかし僕は、すぐにフィルムを使わなくなった。デジタルカメラのメリットがあまりにも計り知れなかったからだ。撮影したものは即座に背面の液晶パネルで確認できるし、フィルムの保存の心配をしなくても、何千枚もの写真を旅行中に撮ることができる。もう僕はX線によって画像が消えてしまうことを恐れなくても良くなった。

D70にはロマンのかけらもない。ハッセルブラッド500cにあった、未成熟だけれども魅力的な、機械を操作する喜びというものが、デジタルカメラにはないのだ。また、デジタルになることで、それまでの約150年の写真の歴史で培われてきた、撮影・現像・印刷という区切りが、完全に無くなってしまった。

クリエイティブな仕事をしている人は皆わかっていることだけど、作品から一旦離れる時間というのはとても貴重だ。デジタル以前、ポラロイドを除けば、写真はそういった区切りから逃れることはできなかった。どれほど急いだとしても、早くて数時間、下手すると数日や数週間も、撮影から現像まで時間がかかっていた。デジタルによって、そういったのんびりと間延びした時間が、めちゃくちゃに縮められてしまったのだ。


2009年になると、5年落ちのD70は20年前のF801と同じくらい古びたカメラに感じるようになった。たった610万画素しか撮影できないので、スマホよりも画素数は少ないし、背面液晶は切手かと思うくらい小さかった。そこで、ふとした思いつきで、僕は最新のマイクロフォーサーズ機であるパナソニックのGF1を買った。

GF1とマイクロフォーサーズという奇妙な名前のカメラは、新しい時代の先駆けだった。ほとんどの35mmフィルムカメラと、そのデジタルバージョンは一眼レフだからだ。典型的な一眼レフは、ファインダーを覗くと二回反射した画像を見ることになる。まずレンズから入った光はフィルムの前にある鏡を反射し、その後ファインダー内にあるペンタプリズムによってもう一度反射した光がファインダーに届く。撮影の時にシャッターを押すと、鏡がカタッという音とともに上方に跳ね上がり、フィルムやセンサーに光が届き、画像を記録できる。GF1は鏡もファインダーも持たないことで、驚くべきほど小型で軽量なカメラだった。

僕がネパール中央にあるアンナプルナ山のベースキャンプに行った時、GF1はとても軽量で、ずっと首にかけたまま登山を終えることができたし、撮影の結果も上出来だった。特にファインダーを覗いて撮影をしなくてもいいというのが役に立った。これはポートレートを撮る時のカメラの役割を変えてしまうくらいインパクトがあると思う。とある長期の撮影旅行の時に僕はこう書き残した。


「善かれ悪しかれ、ファインダーのないカメラというのは、被写体を意識させない。僕は撮影の時、半分人間で半分カメラであるような態度を、もうとらなくても良くなった。スナップや、本当にリアルな写真を撮ろうとする時に役に立つ。人は被写体になろうとしない。その人のままでいてくれるんだ」


その2年半後、僕はGF1からその改良版であるGX1へとカメラを替えた。そのカメラを持って、僕は熊野古道への6日間の旅行に出かけた。その際中、僕はGX1とiPhone5を交互に使って撮影を行った。

撮られた画像をAdobeの写真現像ソフトLightroomに取り込むと、GX1とiPhone5の写真の違いがあまりないように思えてきた。iPhone5は最新のスマホじゃない。聞くところによると最新のiPhone5sの画像はさらに良いらしい。

もちろん、画像を拡大して見比べればその違いは明白だ。iPhone5はGX1よりもハイライトのディテールが足りないし、暗いところでは綺麗に撮れない。また、露出を変えるみたいな大幅な変更もできない。けれども、これから数年先の、iPhone6sくらいの世代になれば、熊野古道を歩くような時に、スマホよりもかさばるカメラを持ち歩く理由はなくなってるのは確かだと思う。


道中で一番楽しかったことは、友人や家族と撮影した山中の写真をすぐにシェアできたことだ。杉の並木の間から降り注ぐ、黄金に輝く朝日、山登りをしている最中に遭遇した深い渓谷を臨む絶景。そういうものに出会う度に、僕はGX1ではなくiPhoneを取り出し、撮影して編集し、数分以内にネットにアップした。

写真にネットを使うようになってから、僕はスマホの画面で画像を編集するのを楽しむようになっていった。写真がデジタルになってから、手作業で写真を編集することはほとんど無くなってしまい、操作はずっとマウスで行うようになっていた。けれども、スマホの画面を指先でいじっていると、僕がかつてフィルムで行っていた、薬品の臭いや、印画紙や、薬液の感触が、頭のなかにまざまざと蘇ってくる。写真がデジタルになって、フィルムで必要だったプロセスが一瞬で終わるようになってしまったけれど、スマートフォンはそれをさらに推し進め、撮影、編集、配置、シェア、その返事までを一瞬で終わらせてしまうことができるのだ。

旅行の間、僕はたくさんのものを見て、たくさんのものを撮った。熊野の森から帰るころには、そこで体験した光景の写真と、それにまつわるネット上の友達との会話が、大量に残されていた。


フィルムからデジタルに変わった時と同じような変化が、カメラと、レンズ付きスマホとの間で起こっている。僕らはかつてフィルムやセンサーのサイズにこだわってきた。けれども今では写真のほとんどを、僕らはネットで見る。何で撮られたかに関係なく、僕らが写真を見るのは小さな液晶ディスプレイだ。さらにネット上の写真は、その画像だけではなく、撮影場所や、天気、あるいは放射線量といった情報までも付け加えることができる。人のいないただの平野の写真が、例えば福島で撮られたという情報を付け加えることで、全く別の意味合いを持つようになる。

写真の中に、例えば自分の行動範囲や、健康状態、社会的地位や心理状況を付け加え、それをFacebookやTwitterなどのSNSサイトにアップすることで、それぞれの写真が持つ意味が全く変わり、これまでと違う世界が開けてくることに気づくはずだ。写真をこういう文脈で捉えるようになると、普通のカメラによって撮られた写真は、それがどれほどの画素数であっても、それ自体では全く価値を持たなくなったことがわかる。もうカメラでは「写真」を写せないのだ。


ニコンD70は、かつて僕が切望したライカM3と、スマートフォンとの間を埋めるものに過ぎなかった。ニコンF801からD70、GX1とカメラの変化を辿って行くと、そこには一つの流れがあることがわかる。

カメラは、ネットワークに繋がったレンズになる。

スーザン・ソンタグはかつてこのように書いた。「写真はすべてのものを撮りつくす。そして写真に撮られないものの価値はどんどんなくなっていく」

僕は今ならこう言うだろう。

「ネットに繋がっていないものの価値はどんどんなくなっていく」と。




写真がもっと上手くなりたいリターンズ(第一回)フォトコンで勝つにはどうすればいいのか?

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「写真が上手くなりたいんだがどうしたもんか」という文章を書いてからそろそろ1年になるということで、なんかそれに絡めてフォトコンの話でも書こうかなと思いまして、ちょっと何かしら書いてみます。なんか毎年この時期になると写真について集中的に考えてみたくなるのですよ。何でですかね?



さて、そもそも論として、何で企業や自治体や各団体はフォトコンをやっているのか。道楽でやってるわけじゃないと思います。フォトコンやると人もカネもけっこう使うので、その背後には何らかの目的がある。

ぶっちゃけて言えば、商品を売るためだと思います。出版社だったら本を売るためだし、カメラメーカーだったら自社製品を売るためです。自治体だったらその地域を宣伝して人に来てもらい、お金を落としてもらうことでしょう。

もっと広く「写真文化に貢献するため」とか、ひょっとすると「世界平和に貢献するため」という目的があるのかもしれませんけど、直接的にはやっぱりモノを売るためだと思います。

コンテストをやることで良い写真が集まる。その中から選りすぐりの写真を発表することで、この機材を使うとこんな写真が撮れる。あるいはそこに行けばこんな写真が撮れる。そう思わせることができると各団体が信じているので、時間とお金を使ってフォトコンテストを行う。

「写真表現の限界を追求する」という目的は、たぶんあんまりありません。そういうのは木村伊兵衛賞とかの役割です。キャノンやソニーみたいな大きな企業のやってるフォトコンはもうちょっとこういう要素が強いかもしれませんけど。大企業は余裕がありますから。

なので、もし狙ってるフォトコンがあるのなら、まずその主催団体はどこなのか、何を目的としているのか、何を必要としているのか、じっくり考える必要があります。


さて、僕はフォトコンはシグマのフォトコンしか出していません。何でかというと、他のフォトコンに出すのは面倒だし、落ちるのは嫌だからです(笑)

たぶん他のフォトコンも取れそうなのを調べて狙って行けば、取れなくはないと思うんですけど、それをするメリットも意味もとりあえず今の自分には感じられないし、そもそも僕はただのサラリーマンなのでそこまでのエネルギーも時間もありません。


ということで、フォトコンに関してはシグマのフォトコン一本に絞ってます。


最初にシグマのフォトコンに出したのは今はなきZorgでやってたやつで、そこでいきなり受賞しました。

2010 第二回シグマフォトコンテスト 金賞



我ながらよく撮れてます。これと同レベルの昆虫写真は未だに撮れていないので、これは本当にラッキーだったなあと思います。ちなみに近所の公園でフラフラと散歩している時に撮りました。

この写真をフォトコンに出すことにしたのは、単純にコレが2010年に撮った自分の写真の中でベスト3に入っていたからです。シグマフォトコンは毎回3枚応募できるので、この年は単純に自分のベスト3を出しました。

ちなみに残りの二枚は以下の二つなんですが、これは選ばれなかったです。





なんでこの二枚じゃなくて、昆虫の写真なのか。

何となくですけど、選ばれなかった二つはど真ん中構図で深みにかけたのかなあと。それか、単純に選ばれた方の色合い・構図・被写体のバランスが良く、一番安定してるからかなあと。そんなことを思いました。

さて、2010年はこれで終わったんですが、次の2011年は苦労しました。基本的にフォトコンはその年に撮った写真しか出さないことに決めているのですが、2011年は子供が生まれてめちゃくちゃ忙しくなって写真がほとんど撮れなかったんです。

そんな中でとりあえず出そうと決めたのが下の写真。






一枚目は娘が生まれて一週間後の写真です。これ悪い写真じゃないよなあと思ってるんですが、ちょっと何かが足りなかったようです。

二枚目は前回に味をしめて昆虫+マクロで良かったのを出してみました。審査員が同じだったので、同じテーマなら選ばれやすいかなと思ったんですが、これもダメだったようです。


で、選ばれたのがこれ。

2011 第三回シグマフォトコンテスト 金賞


コレかよ!と通知を受けた時はビビリました。まさかの相撲の流し撮りです。コレ撮った経緯は以前書いたので気になる人は読んでみてください。

さて、じゃあそもそも僕は何でこの写真を出そうと思ったのか。

最初の二枚はすんなり決まったんですけど、どうしても3枚目が思い浮かばなかったんです。2011年に撮った写真でもうちょっと良い写真はあったんですが、それだと他の人に勝てない気がしました。で、悩んで決めれなかった時に、どういう写真なら勝てるのか、考えるようになりました。


そもそも、シグマのユーザーは誰か。シグマの製品は何か。彼らは何を撮っているのか、何が撮られているのか。考えていくと、どういう作品がフォトコンに応募されてくるのか何となく見えてくる。

風景はみんな撮っている。かなりの数が応募されてくる。でも、その風景写真が素晴らしいものであったとして、受賞作品が全て風景写真になるか。

それはないだろう、と思いました。

僕が主催者なら、自分のメーカーのカメラが、「限定された被写体しか撮れない」と誤解されかねない選び方はしない。なので、ジャンルは被らないように、色も被らないように、慎重に選り分けて、受賞作品を選ぶはずだ。

風景
マクロ
静物
スポーツ
飛行機
夜景
花火
子供
動物

これらのジャンルの中で均等に写真は選ばれるだろうし、焦点距離もシャッター速度も、バラバラで選んでくるだろう。

写真はいろいろなことができるのだから、それを証明するような作品を受賞作として選ぶだろうと。

シグマのコンテストなんだから、風景は絶対に大量の応募が来る。僕の写真ではおそらく埋もれてしまう。そもそも、長野や山梨や北海道や、そういう風光明媚な場所に住んでる人や、よく旅行に行く人に、僕が勝てるわけがないです。なので、風景を出すのは最初から捨てました。

僕の相撲の写真は「相撲・望遠・スローシャッター」という、たぶん応募作の中にほとんどない組み合わせです。こんな写真を撮った奴はいないと僕は確信していました。なので、コレを出せば、選ばれる可能性は低くはないだろうと。

で、結果として、僕の狙いが当たったんだと思います。


もちろん、写真そのものにある程度力がないといけない。作品に力がないと、そもそも審査の対象にならないような気がします。

でも、そんな写真でも、応募作が似たようなレベルなら当然埋もれてしまう。なので、埋もれないように自分ができる最大限ユニークな写真を提出するのがベストな戦略なのだと思います。


2012年はシグマのフォトコンがなかったので、そもそも何もしませんでした。個人的にこの年はけっこう良いのが撮れた年なので、あって欲しかったんですけど、まあないものはしかたないです。たぶんフォトコンあったらここらへんのを選んでたんじゃないかなあ。









さて、ということで2013年の終わり、久々にシグマフォトコンが開催されると発表がありました。

発表を見てビビったのが、今回からシグマのレンズさえ使っていればシグマ製「カメラ」じゃなくても良くなったこと。そして、賞品が出るということ。

ヤバイじゃないかと。シグマ製カメラじゃなくていいんだったら、誰でも参加し放題で、レベルが上ってしまうじゃないか。ついでにSDでは撮れないような写真でも、よそのカメラなら撮れてしまうじゃないかと。

さてどうしよう。

と、考えたんですが、とりあえず方針は変わらないです。今回もシグマの販促のためのコンテストなんだから、幅広いジャンルから均等に選ばれるだろうし、そうなると、層が厚い部門よりは、薄いところを攻めた方がいい。


とりあえず娘の写真はチラホラあったんですが






悪くはないんだろうけど、何か足りないなあと。そもそも子供写真はみんな撮るから倍率が高い。

そんなわけで、娘の写真は全部やめました。


たぶん、今年は正攻法では勝てないだろうということで、他の人が撮っていないだろうジャンルで勝負しようと。


最初に選んだのがコレです。夜にシャッター開けて手持ちでビルをブラして撮りました。

かなり抽象的な絵になってるんですけど、ここまで崩してフォトコンに入るのか、個人的に見極めをしたかったんです。

で、コレは選ばれなかったんで、ここまでやったらダメなんでしょう。まあ、予想通りではありますけど(笑)


次がコレ



何となく心象風景的な、ノスタルジーを感じるようなのを狙って撮ったんですが、まあこれも落ちました。予想通りです(笑)

でもこれは個人的に、去年撮った自分の写真の中では一番好きなんですよ。



あともう一枚どうすっかなあ、ってことで、結局選んだのがこれ。


2013 シグマ・FOVEONスクウェア フォトコンテスト 入賞



構図も被写体も悪くはない。少なくともSDでこういうのを撮ってる人はいない。なので、選ばれるならこれかなと。

で、運良くこれが選ばれました。ありがとうございます。



ということで、今回フォトコンとは何なのか、自分なりによくわかりました。


まずパッと見で良い写真じゃなきゃダメ。良い写真を出す。

その中で、競争の激しいジャンルと、比較的ニッチなジャンルがあるはず。狙うならニッチなジャンル。

さらに主催者のメリットを考える。メーカーはどんなイメージを欲しているか。シグマのSDなら風景は十分撮れるので「動体も撮れる」というイメージは欲しいはず。僕の写真はそのニーズに応えられてると想います。


そこら辺に注意していけば、たぶんフォトコンに選ばれる可能性は上がるんじゃないかと。


ということで、とりあえず今日はここまで。





FOVEON Quattroセンサーは何が凄いのか?

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シグマからFOVEONの新センサーFOVEON Quattroが発表になりました。

新センサーはあと1年は出ないと勝手に思っていたので、このタイミングで出てくるとは恐れ入りました。

新センサーの構造を見てみると、よく考えられているなあと思うので、メリルセンサーと比べて画質で劣ることは、実用上はほとんどないでしょう。むしろ逆に、解像度・高感度・色再現性の向上で、メリルセンサーより優れた絵が撮れるシーンが増えるだろうと思います。

ということで、クワトロセンサーとメリルセンサーで出てくる絵がどう違うのか、例によって単純化したモデルで勝手な推測をしてみます。




それを踏まえた上で、クワトロセンサーの構造と、メリルセンサーの構造を比較してみます。

まずはメリルセンサーの二つを並べたのがこんな感じだとしましょう。


イメージ 1

あるピクセルに5-4-3の光が入って、その右隣に10-8-6の光が入るとします。

右側のピクセルでは輝度情報・色情報ともに完璧ですが、左側では最下層の赤で光が消え、情報が記録されません。

厳密には、入ってきた光が途中で消えることはなく、弱い光でも最下層に到達します。しかし、イメージセンサーには暗電流という、常にセンサーに流れている微弱なノイズがあって、センサーに入ってきた光子の量が少ないとノイズに紛れて検出できなくなってしまいます。なので、信号が検出できないくらいの少ない光のデータは実質消えてしまうことになります。

データがないものはしかたがないので、おそらく隣接するピクセルから情報を補完して、だいたい平均的な色になるよう演算をしていると思います。

フォビオンは原理上は青・緑・赤の三原色を分離して、各ピクセルごとに正確な色を再現できるのですが、実際は明るさが足りなくなると最下層のデータが取れず、情報を補完しなくてはいけなくなります。

そして、この「最下層の情報がなくなる」ケースは、かなり多いと推測されます。


これは裏を返せば「モノクロモードで赤100%にするとデータが足りず解像度が低くなる」ことを意味します。

実際に、ISO100で撮影して、青・緑・赤の各100%モノクロ画像を比較したのが下です。

イメージ 2
画像右下のボタンを押すと拡大します


一番左がカラーで現像した画像。その横に各色の100%モノクロ画像を並べました。

同じ絵なのに、緑、赤と下層に行くにつれて解像度が落ちていくのがわかると思います。ISO100でも、最下層の赤では解像度が落ちるのです。

メリルセンサーは原理上、最下層でも、各ピクセルごとに色の違いを検出できるのですが、実際は光が少なくなるとノイズに紛れてしまい、隣り合うピクセルとの差がなくなっていきます。

モノクロでこうなるということは、この情報を元にしたカラーでも、色の再現が完全ではなくなる可能性が高くなります。フォビオンは色が狂いやすかったりするのは、最下層の光が少なく検出しにくいという物理的な弱点によるものでしょう。

光子とノイズを分離しやすくするためには、各層の受光面積を広げればいいのですが、そうすると今度は解像度が減ってしまいます。センサーの発展の歴史は、この解像度と受光面積とのせめぎあいの歴史でもありました。



クワトロセンサーはこのメリルセンサーの弱点を克服するために設計されたのでしょう。光子が不足しがちな下層の受光面積を増やすことで色再現性を向上し、なおかつ最上面のピクセル数を増やすことで、解像度も向上させる。一石二鳥です。

唯一心配なのは、青4ピクセルに対して、緑と赤が1ピクセルしかないことですが、これは青の情報を基準にすることでかなり正確に元の色が再現できるのではないかと思います。ということでちょっとやってみましょう。



イメージ 3

左がメリルセンサー、右がクワトロセンサーの構造です。どちらも左に同じ青緑赤の弱い光、右に強い光が入るとします。


クワトロセンサーはメリルセンサーより構造が単純で、受光面積が広いので、各層の光子もより細かく数えられるようになるだろう、ということで、クワトロセンサーのモデルでは通過するごとに減る数字を2じゃなくて1にして計算してみます。


クワトロセンサーでは、4つにまとまった緑と赤のデータ量を、どうやってそれぞれの青に合わせてるのかわからないんですが、青に入った光の量の合計の差をそのままの比率として、緑と赤にも適応してると仮定します。実際に最上面ではすべての色の光子が検出できるので、この層の輝度情報の比を下位に当てはめれば、かなりの精度で元の色を復元できると思われます。


青層の右左の量の比は7:12なので、これをそのまま緑に当てはめると緑の右左の比は4.4:7.6。青の比は2.6:4.4となりました(四捨五入してます)。

これを縦に並べると左側は

青 7
緑 4.4
赤 2.6

となります。各層ごとに1ずつ減ってく計算なので、緑に1を足し、赤に2を足して、青から3を引くという逆算をしていくと、青4、緑5.4、赤4.6となり、元の青5、緑4、赤3からズレてしまいました。

右側は縦に並べると

青 12
緑 7.6
赤 4.4

になります。これも逆算すると、青9、緑8.6、赤6.4となり、元の青10、緑8、赤6からはズレます。

けれども、ここで注目すべきは右側の光が多かった部分は誤差が1以下。左の光が少なかった部分でもそれなりに近い数字に近づけているということです。これがメリルセンサーだったら光の多い右側は正確ですけど、左側はそもそもデータが取れず色の再現ができないので、完全な推測になってしまいます。


これのどちらが実用上優れているのか。僕はクワトロセンサーだと思います。

暗部でも実際に近い色は出せる。メリルセンサーと比較してデータ量は少なくなるので、実際の書き込み速度は上がり、使い勝手は増す。低照度でもデータが作れるということは、高感度性能が圧倒的に向上する。

大量の光が画面全面に降り注ぐような状況ならメリルセンサーのほうが上かもしれませんが、そういう状況に遭遇するほうが現実には稀だと思います。レンズは周辺の光量も落ちますから、そういう様々な状況を考えても、「少ない光でも色が出せる」クワトロセンサーは実用的で優れていると思います。


ただ、ここで書いたことは全て推測に推測を重ねた机上の空論に過ぎないので、実際の判断はサンプルを見てから判断したいと思います。

CP+が楽しみですね!





CP+ 技術アカデミー 垂直分離型Foveonイメージセンサーについて

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CP+の技術アカデミーに行ってきたので、そのまとめです。


まずはデジタルカメラのイメージセンサの種類について

イメージ 2

画像は配布資料からの抜粋です


イメージセンサーにはベイヤーとフォビオンの二種類があります。この二種類はそもそも、光の捉え方から考えが違います。

ベイヤーは光を粒子として捉えてます。センサーの前面にカラーフィルターを置いて、光の三原色である赤、緑、青を分離し、それぞれの光子をセンサーに取り込んで、デジタルデータとして取り出しています。

それに対して、フォビオンは光を波として捉えています。光は色によって波長が異なり、シリコンに侵入する深さが色によって異なります。波長の短い青は0.4マイクロメートルくらいしか侵入しないのに対し、波長の長い赤は4マイクロメートル近くまで侵入します。フォビオンはこの光とシリコンの特性に着目し、カラーフィルターを使わず色を再現できるセンサーです。

Foveon X3センサーが最初に開発されたのは2002年でした。第一世代のフォビオンは2268x1512の340万画素x3で約1000万画素。第二世代のフォビオンは2008年のSD14に搭載された2640x1760x3の1400万画素。第三世代はいわゆるMerrillセンサーで4704x3136x3で4600万画素。

順調に解像度を増やしていったのですが、フォビオンはその特性上データ量が3倍になってしまうので、もし同じ構造でベースを2000万画素に増やすと6000万画素になってしまいます。この点を改善したのが最新のクワトロセンサー。5424×3616というベースの解像度を持ちながら、二層目、三層目を4ピクセル分結合することで画素数を減らすことができました。

クワトロセンサーはトップの層で輝度情報を得られるので、その情報を元に、下層のデータを復元します。最上面ではすべての色の情報を得られているし、センサーに入った光子は全て捕捉しているので、データは一切欠落しておらず、それゆえオリジナル情報を再現することが可能になります。


イメージ 3

フォビオンは各層で特定の色を検出しているのではなく、それぞれが交じり合った状態で記録されます。このことによって、フォビオンは全ての波長の光を検出でき、実際の色を忠実に再現することができます。しかし、一部では「フォビオンは色が混じっているので色分離が悪い」と言われることがあります。これは「光はRGBの三色で再現できるので、三色が分離していないフォビオンは色再現性に劣る」という認識から来ています。

しかし、これは事実ではありません。「光の三原色」という概念をもう一度考え直す必要があります。


そもそも色とは何でしょうか?赤い光子、青い光子が飛んでいるのでしょうか?

そうではありません。光には波長と放射量の二つの性質しかありません。その光が目に入り、網膜の細胞が化学変化を起こして脳に信号を伝え、それを脳が色に変換しているのです。この「光の感じ方」に絶対的な尺度はありません。脳内の反応なので、個人、年齢、性別、文化などによって異なり、比べる方法はありません。

ディスプレイはRGBの三色で色を表現していますが、センサーもこれと同じでいいのでしょうか?例えば青よりもさらに波長の短い紫は、RGBセンサーだと「暗い青」としてしか認識されません。同様に、赤よりも波長の少し長い色も「暗い赤」として記録されます。これでは正確な色再現に問題が出てきます。


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少し話を変えて、人間以外の色の把握を見てみましょう。

例えば鳥の目は紫外線を捉えることができるので、4種類の色を捉えることができます。紫外線以外の三色は理想的なRGBの波長に近いのですが、それぞれの色が捉えられる範囲はかなり広くなっています。

同様に、人間の目も捕捉出来る色の範囲は重なりあっています。この重なっている部分を脳内で分離して、色として認識しているのです。しかし、人の目の特徴は鳥とは違い、赤から黄色に渡る範囲(500nm~600nm)をより繊細に認識できることにあります。これの理由はわかりませんが、おそらく進化の過程で、赤や黄色に敏感であること、例えば血の色、果物、仲間の顔色など、黄色から赤色を識別できることが、生存に有利な状況があったのではないでしょうか。



もう一度フォビオンの分光特性に戻りましょう。

イメージ 5

フォビオンは人間の目に近い分光特性を持っています。それは、すなわち、人間の目と同じく、全ての波長を捉えられる、全ての色を測定できることを意味します。RGBだけを捉えるセンサーでは、捕捉できない波長が出てきてしまうのです。


色というものをもう一度考えなおしてみましょう。

イメージ 6


色というのは、連続する光です。それをデジタルカメラで記録し、そのデータを元にRGBで再現された液晶ディスプレイで見たり、CMYKに変換され、それぞれのインク粒子を混ぜあわせたプリントで見たりします。そのどれもが人間の脳の働きで「同じ色」に感じるのです。

色を表現する方法は一つではありません。このように、元々は異なる波長だった光を、様々な方法で表現できる。RGBはその手段の一つにすぎないのです。



ここで少し話を変えて、モノクロ写真について考えてみましょう。

写真表現の中で、モノクロ写真は長い歴史があり、愛好家もたくさんいます。現在もモノクロセンサーを搭載したカメラが市販されています。

モノクロセンサーは一般的なベイヤーセンサーからカラーフィルターを取り外したものです。カラーフィルターによって光が損失してしまうので、フィルターのないモノクロセンサーはモノクロ写真に適していると考えられています。しかし、はたしてそれは真実でしょうか?

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人間の目には杆体細胞と錐体細胞の二種類があります。明るいところでは錐体細胞の情報を使っているのですが、暗くなると杆体細胞の情報を優先します。

この、二種類の細胞は、それぞれ色に対する感度が違います。明るいところで使う錐体細胞は緑色が中心なのに対し、暗いところで使う杆体細胞はそれよりも波長の短い、青に近い色にピークがあります。

なので、明るいところと暗いところでは、私たちの色の認識の仕方が異なるのです。例えモノクロ写真でも、明所と暗所では色の把握の仕方が異なり、それゆえ、見えている世界も変わってくるのです。このような変化に対応するためには、やはりカメラが正確な色を把握できなければいけません。

しかし、RGBフィルターセンサーでは、補足する色がRGBのみでその中間の色は「盲点」となり、データに記録されません。

イメージ 8

上の図の480nm付近と580nm付近はRGBではカバーできない「三原色の盲点」です。例えば黄色がこの盲点に当たるのですが、ちょうど緑と赤の間に入って、正確な色と輝度が測定できません。この欠点を補うために、RGBセンサーでは周辺の他の色の情報を混ぜて、混色として黄色を表現しています。しかし、これは純粋な黄色とは違うので、周辺にある別の色も誤って増幅されてしまい、結果として本来有り得なかった色が作られてしまうのです。

フォビオンセンサーには、色の盲点はありませんから、全ての色を再現できます。

また、先ほどの明所と暗所の目の細胞の違いからくる色の感じ方も、フォビオンセンサーならデータ処理で対応できます。全ての波長の色を測定できるので、細胞のピークの違いに合わせた処理を、簡単に行うことができるのです。


ここにシグマの社員が朝焼けを山から撮った写真があります。山と山との間にある暗い部分は、実際に目撃した時には杆体細胞の働きによって少し青みがかって見えます。この微妙な青は、RGBセンサーでは潰れて黒くしか写りません。しかし、フォビオンセンサーなら、実際に眼にした光景と同じ画像を再現できるのです。

モノクロセンサーで同じことをしようと思ったらフィルターを使用するしかありません。しかし、フォビオンなら事前に何も準備しなくても、ただその光景を写すだけで、フィルターを使用したのと同じ効果が得られます。フォビオンのモノクロは、単に光子の量を測定しただけではありません。それぞれの波長の色がどれくらいの強さだったのか、途切れることなくしっかりと記録することができるからです。


最後に、シグマの写真への思いを述べさせていただきたいと思います。

まず、自然に対して謙虚であれ、ということです。どんな波長の光も取りこぼさない。そこにある全ての光を情報として補足すること。

次に、人の感受性を尊重すること。光の捉え方は、個人によっても、時間によっても異なります。その違い全てに対応することです。

最後に、写真を撮る道具を作ることへのこだわりです。今回はセンサーの話が中心でしたが、カメラにとってセンサーは網膜に当たります。それに加えて、眼としてのレンズ、脳としての画像処理エンジン、その全てにこだわっていくことで、本当の写真表現ができると考えています。

世界は複雑に出来ていますし、人間もまた複雑です。とてもRGBの三色で割り切れるものではありません。しかし、複雑だからこそ出来る表現があると思っています。

人間の画像処理はとても優秀で、まだまだできていないことが多いです。特にフォビオンはノイズが混ざると色が変わってしまうので、ノイズ対策がとても重要になってきます。

クワトロセンサーは、高解像度時代に対応するために開発されました。高解像度を維持しつつ、データ量を抑え、またノイズ対策を行っているので、今まで以上の画像を作ることができます。

ありがとうございました。


質疑応答

Q:JPEG SUPER HIというモードがクワトロにはあるが、これは何なのか?

A:ベイヤー方式の画像処理技術はものすごく進歩していて、少ないデータからでも優れた画像が作れる。今回、その技術をフォビオンに応用して、フォビオンデータをベイヤー的に処理したらどの程度の大きさの画像ができるのか試してみた。実際かなり優れた結果が出たので、試してほしい。

Q:クワトロで一番上だけ4分割したのはなぜか?

A:理論的には緑を4分割することもありえたが、最上層で全ての色の情報を取っており、一番データ量が多いので、それを分割して解像度を上げることにした。



以上です。





【CP+2014】シグマインタビュー「私たちが生き残れたのは、他のメーカとは違う製品を作り続けてこれたから」

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今週日本で行われたCP+に我々dpreviewも参加した。訪れたブースの中で最も混み合っていたものの一つが、シグマブースだ。シグマは交換レンズメーカーとして有名だが、CP+では最新のカメラであるdp2 Quattroを発表した。dpreviewの編集者であるバーナービー・ブリトンはシグマCEOの山木和人氏とQuattroや現在のカメラ産業について、また、家族経営の会社のトップとはどのようなものかについて、話を聞いた。

-dp2 Quattroはデザインを変更してきましたが、この理由は何でしょうか?

このカメラはとても解像度が高く、ベイヤー換算で3900万画素相当になります。この解像度を活かすために、ユーザーはコンパクトカメラとしてではなく、一眼レフを構えるように撮影するだろうと予測しました。左手でレンズをしっかりと持ち、右手でシャッターを切る。そういう発想でデザインをしました。

-一眼レフのようにと言っても、内蔵ビューファインダーはありませんね。

そうですね。でもオプションとして光学ファインダーを用意しました。

-前モデルであるDP2 Merrillはバッテリーがほとんど持ちませんでした。Quattroは大きなバッテリーを搭載しましたが、このことで撮影枚数に違いはあるのでしょうか?

はい、DP Merrillはおよそ一つのバッテリーで100枚程度しか撮影できませんでしたが、QuattroはCIPA基準で200枚ほどの撮影ができます。

-それでも、撮影枚数としては少ないですね。Foveonセンサーの消費量が多いからなのでしょうか?

このカメラの内側にあるシステムはとても巨大です。実際ハイエンドの一眼レフと同等のシステムを積んでいます。最新の技術を使い回路そのものはとても小さく造りましたが、システムそのものが大量の電力を消費します。巨大な画像データを処理するために高速のプロセッサーと大容量のメモリーを搭載しているからです。

-新型センサーのRAWファイルの大きさはどれくらいなのでしょうか?

被写体にもよりますけど、平均して55MBほどです。Merrill世代では平均45MBほどでした。

-dp2 Quattroに搭載されている新型センサーの開発はいつ頃始まったのでしょうか?

ここ数年ですね。実は今回の元になった特許は2005年頃に取られたのですが、開発に本腰を入れはじめたのはMerrillセンサーが発売されてた後です。

-現在DP2 Merrillを使っているユーザーがQuattroを使うメリットは何かあるのでしょうか?

Quattoroを使ってもこれまでと同様のFoveon画質を楽しむことができます。とても解像度が高く、高コントラストの被写体はそのまま、低コントラストもあるがままに、全てをそのまま写しとります。このFoveon画質こそが私たちがずっと誇りに思ってきたものです。

それに加えて階調表現が豊かになりました。解像度が増し、14bit RAWに対応したおかげです。これらの大きな変更の他にも、画像処理そのものも見直しました。これら全てが画質の向上に貢献したと思います。

-高感度性能も向上しているのでしょうか?

そうですね、約一段分向上しています。しかし、低感度ではdp Quattroより画質の良いカメラはありません。既存の一眼レフでこれと同等の画質を得るのは容易ではないでしょう。

その理由の一つとしてミラーショックがあります。フォーカルプレーンシャッターは解像度低下の原因になりますし、位相差AFでは正確にフォーカスすることが困難です。光学ファインダーもこのレベルになると精度が足りなくなります。センサー、ファインダー、AFセンサーと三つの光路を完璧に合わせるのは至難の業なのです。

さらに、レンズ交換システムそのものが、カメラとレンズのマウントの精度に依存しています。しかし、この光軸を完璧に合わせるのは不可能です。

それに対してdp2 Quattroはレンズの光軸とセンサー面を完璧に合わせられます。このことで、中心から周辺まで最高の解像度を得ることができるのです。

-SDシリーズの将来はどうなるのでしょうか?

もちろん、今後もSDユーザーを大事にしていきます。

-レンズの売り上げに対してカメラの売り上げはどのくらいなのですか?

とても少ないですね。売上高では10%以下です。

-シグマは一眼レフとミラーレス用にレンズを供給しています。現在のシグマにとってミラーレスは重要ですか?

まだそれほど大きくはないですね。統計によると、カメラとレンズの販売数の比はミラーレスで1:1.3、一眼レフで1:1.7です。つまり、通常の一眼レフのユーザーの方がより多くのレンズを買っていることになります。ミラーレスユーザーは傾向として、レンズ付きのキットを買うことが多く、ほとんどユーザーは追加のレンズを買わないままです。

ハイエンドなミラーレス、例えばSONY NEX-7やオリンパスOM-Dなどのユーザーは、多くのレンズを買っていますが、ミラーレスのユーザーは初心者が大半です。私たちのターゲットはそれよりももう少し上級者です。

-ソニーの新しいα7とα7Rに向けてレンズを作る予定はありますか?

交換レンズメーカーとしてできるだけ多くのレンズマウントをサポートしていくことが私たちの使命です。しかし、開発リソースが限られているので、優先順位もあります。サポートしたいとは思っています。

-ソニー、キヤノン、ニコンといったカメラメーカーと、どれくらいの頻度で意見を交換しているのでしょうか?

全くしていません。もちろん、個人的にそれらの会社で働いている友人はいますが、ビジネスの話はしませんね。

-技術的な観点から見て、ミラーレス用のレンズを作るのは、一眼レフ用のレンズを作るのより難しいのでしょうか?

レンズを作る困難さそれ自体に違いはありません。しかし、そもそもミラーレスと一眼レフは全く別のものです。ミラーレス用のレンズはカメラのセンサーがAFを行い、動画撮影ではフルタイムでAFを行わなければなりません。なので、フォーカス用のレンズは小さく軽量にしなければいけません。

したがって、ミラーレス用に開放F値の明るいレンズを作ろうとすると、一眼レフ用よりも設計は困難になります。しかし、一般論で言えば設計のアプローチは違いますが難易度の違いはないですね。

-動画撮影について言及されましたが、新しいレンズを設計する時、動画への対応はどれくらい考慮されているのでしょうか?

一眼レフ用では、設計方法は変えていません。一眼レフでは未だに位相差センサーが主流だからです。一眼レフを使った動画撮影では、ほとんどのユーザーはマニュアルでフォーカスをしていると考えています。

それに対して、ミーラレス用ではフルタイムAFをサポートしています。したがって、先ほども話しましたように、小さくて軽量なレンズを使うように設計しています。

-複数のマウントに向けてレンズを作っていますが、マウントの違いによる設計上の困難はあるのですか?

基本的に大きな違いはありませんが、ニコン用のレンズは開口部が狭いので、ニコン用の大口径レンズを作るのは少し難しいですね。しかし、どのレンズもキヤノン、ニコン、シグマ用を用意しますし、可能だったらソニーやペンタックス用も造ります。

-2年前にシグマはレンズの設定をカスタマイズできるUSBドックを発売しました。この製品はどのように受け止められていますか?

ユーザーの皆さんはとても面白いと感じてくれているようです。しかし、USBドックはグローバルビジョンのレンズにしか対応していないので、ユーザー数そのものがまだ少ないのが現状です。

-新しいレンズの評判はどうでしょうか?

とてもいいですね。特に35mm F1.4と18-35mm F1.8の人気がとても高いです。

-カメラのセンサー解像度はどんどん増え続けています。2400万画素、3600万画素と将来的にもっと増えていくでしょう。この傾向がレンズ設計のあり方を変えたようなことはあるのでしょうか?

そうですね。ユーザーはより解像度の高いレンズを求めています。解像度の高い画像を得ようと思ったら、センサーと同じくらい、レンズの性能も重要になります。私たちはここ数年品質の向上に取り組んできましたし、Foveonセンサーを使用したオリジナルなMTF測定装置も開発しました。Foveonセンサーの解像度はとても高いので、高周波の被写体に対するレンズの性能をきちんと測定することができます。現在新しいレンズの全てをこのMTF装置を使って検査しています。

-これまでよりも検査に時間がかかったりしないのですか?

いえ、基本的に同じです。

-もしとあるカメラユーザーが、ニコンかキヤノンのレンズと、シグマのレンズのどちらを選べばいいか迷っているとしたら、どのように話をしますか?

もちろん、どのレンズかによって変わりますが、基本的に私たちの製品は高性能なレンズをより手に入れやすい価格で提供しています。

-それはどのようにして可能になったのですか?

そうですね、まず私たちはとても小さい、無駄のない会社組織です。投資は自社工場と開発チームにしかしません。また、人事、営業、マーケティング部門も必要最小限です。広告宣伝費も極めて少ないです。このようにしてコストを縮小することで、製品を出来るだけ手に取りやすい価格になるよう務めています。

-シグマは家族経営の会社です。従業員は平均してどれくらいの年数勤務するのですか?

正確にはわかりませんが、工場とオフィスで働いている従業員の多くは定年まで働きます。女性従業員は出産すると会社を離れることが多いですが、最近は復職するケースも増えています。本社には160から170人ほどが働いていますが、辞めていく社員は毎年一人くらいですね。

-あなたはこの会社に誇りを持っていますか?

はい。従業員が会社に居続けてくれるのには感謝しています。かつて日本では学校を出て会社に入ると定年まで働くのが普通でした。しかし、最近は上場企業は利益を増やすために従業員をリストラしなければならなくなっています。会社に残りたくても辞めなければならないのです。なので、うちの会社のようなケースは珍しいですね。

-近年では家族経営の会社の数は減ってきました。

はい、それは私にとって大きなプレッシャーですね。とても多くの重圧が私の両肩にのしかかっています。しかし、私はむしろこれを長所だと思っています。15年から20年もの間働いている工場の従業員は、製造について熟知しています。彼らにとって品質の高い製品を作るのは難しくはありません。日本人は他の国の人と比べて生まれつき何かに秀でているということはないと思いますが、他の国では工場で働いている従業員は2~3年ごとに交代していきます。しかし、私たちの工場では熟練の工員が毎日違ったレンズを生産しています。彼らの知識と経験を、私たちは頼っているのです。

-5年後のシグマはどのようになっていて欲しいですか?

私が最も優先しているのは、会社が成長を続け、従業員を守り続けるということです。会社の規模が巨大になる必要はありません。ビジネスを続けるのに必要なだけ、少しずつ成長していければ十分です。

現在のところビジネスは順調ですので、何かみんなを驚かせるようなことがしたいですね。私たちのユーザーが「わっ!」と声に出して驚くような。それが今の私のモチベーションでもあります。会社を大きくするよりも、そういうことがしたいです。

-次の大きなサプライズはどのようなものになるのでしょうか?

カメラですね。私たちの現在のシェアは1%以下です。けれども、この数字を具体的にどうしたいとは思っていません。私はカメラビジネスをもっと安定したものにしたいだけです。

-現在のカメラ市場はとても厳しいです。現在の状況で成長するためにどのような戦略を持っていますか?

他社との差別化がもっとも重要な要素です。これはシグマの設立以来の戦略でもありました。シグマが設立された時、日本には50以上ものレンズメーカーがありました。しかし、現在では、タムロン、コシナ、シグマのわずかに3社だけです。私たちが生き残れたのは、他のメーカとは違う製品を作り続けてこれたからです。





写真がもっと上手くなりたいリターンズ(第二回)【書評】鳥原 学「日本写真史(上)(下)」

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自分の撮った写真に既視感を抱く時がある。


僕が動き、僕が見て、僕が選び、僕が撮った写真が、他の誰かが撮った写真と同じようなものに見えてくる時がある。

もちろんそれは自分が撮った写真なのだから、大事にすべきものだ。それが何かに似ていようが、何だろうが、これが僕の写真だと、強弁することは可能だろう。

でも、それが他の人の心に届く写真であり得るのか。そう考えるといささか心許ない。

僕は夕日を見る。美しいと思ってシャッターを切る。それをネットに上げる。上がった写真をGoogleで画像検索すると、同じような写真が数千、数万とヒットする。

僕はもう一度自問する。そんな僕の写真は価値が有るのだろうかと。


良い写真とはなにか、ずっと長い間考えてきた。未だにこれという答えはないけれど、何となくこれじゃないかな、というものはある。

人の心に届く写真が、良い写真なのだ。

僕は一人で写真を撮って、一人でそれを楽しむこともできる。自分なりの快楽のスイートスポット。それは他の人とは違う、自分だけのものだ。それをひたすら追求して、自分一人で楽しむ。健全かどうかはさておき、別に悪いことでもない。

けれども、人は他者との関係の中で生きる生き物だ。僕らは一人では生きていけない。人と会い、話をし、何かを交わし、何かを感じ、そうやって生きている。

写真も、その中の一つとしてある。

自分一人のための写真を僕は否定しない。けれども、やはり僕はそれは撮らないだろうし、続かないだろう。別に写真を撮らなくても生きていけるのだ。自分の生活に加わるプラス・アルファ。それが写真なのだとしたら、僕はそこに何らかの快楽を見出したい。

人とコミュニケーションするという快楽

けれども、それは簡単なことではない。人の心には、どうやって触れればいいのだろうか。それも写真で。何を提出すれば、人の心は動くのか。

その一つには、まず自分の心を知ること。僕は何を見ているのか、何に心を動かされるのか。何を伝えたいのか。

そして、もう一つは人を知ること。それはすなわち、社会を知ること、今を知ることでもある。人は今という時代を生きている。「今」はどんな時代なのか。人は何を考え、何を求めているのか。

もちろん、時代を知ることや、社会を知ることは生半ではない。個人的に、それは一人の人間の知性を超えていることだとすら思う。けれども、全体を、全てを知ることができなくても、その手がかりのようなもの、かけらのようなものを掴むことは出来るんじゃないか。僕はそう思っている。

2011年の3月13日、震災の二日後に娘が生まれ、その写真をツイッターに上げた時、まる1日近くリツイートが止まらなかった。

それは世間にとって、小さな、ほんの小さな出来事だったのかもしれない。けれども、僕はその時、人と対話するということの「何か」を見たような気がしたのだ。

僕が心の底から見せたいと思うもの。

人が心の底から見たいと思うもの。

良い写真とは、その二つが重なりあった時、生まれるのだろう。



鳥原学氏の「日本写真史」は労作である。

幕末の維新志士の肖像写真から始まり、大正時代に花開いた前衛文化、日本が海外に侵出するようになると、写真家たちも戦争プロパガンダに利用されていく。

戦後の焼け野原から、徐々に復興していく日本。高度経済成長のさなか、ジャーナリズムと広告写真が花開いていく。経済的豊かさがある程度達成されると、個人が社会の問題になっていく。写真家たちは自己の表現を求め、その主題・手法は細分化していく。

デジタル時代になり、誰もが写真を撮るようになると、旧来のカメラ・写真のあり方が変わっていく。そして東日本大震災。日本人は震災に何かを感じ、写真家は何かを表現しようとした。


ざっと概観すると、写真というものが日本の近代化にとって、どれほど多くの役割をになったのか、その影響に慄く。

どうして維新志士の写真は数多くあるのか。写真というものが近代化の象徴であり、社会を変えたいと思う若者たちが、最先端の科学を身を持って体験するという、そういう風土が当時はあったのだろう。従来の封建的・儒教的価値観から、客観的・科学的近代合理主義へ、日本社会は変質していった。その変化を、カメラは目撃していたのだ。

僕が個人的に心動かされたのは、戦争が激しさを増していくとともに、プロパガンダとして写真家がその技術を国家のために使わざるを得ない状況に置かれていくところである。


以下は1941年に陸軍大佐が「アサヒカメラ」でアマチュア写真家に向けて語った言葉だ。


写真も国防の第一線に出なくてはならない。しかもこれによって、国家は戦っているという国民的意気と熱とを、知らしめるに足ることを忘れてはならないと思うのである。要は宣伝報道は内外の世論を左右にし、民心の離合に関係を持っている。我らは支那における民心を把握して、日本の国論と支那民衆の思潮とを帰一せしめ、宣伝報道戦においても真の戦果を収めなくてはならぬ。
「日本写真史(上)」p.76


写真は強力なものだ。それを使う時、その効果に無自覚であってはならない。また、それと同時に、無意識であれ自覚的であれ、自分の意志に反し何かの意図を持って写真を使うことも、戒めなければならないと思う。


戦後に起こった写真表現の拡散は、そのまま日本という国の多様化・分化の証明でもある。芸術・報道・マスメディア・広告という大きな流れはバブル期あたりを頂点に、集合し、そして離散したのではないか。それはとりもなおさず、僕らの価値観そのものが細かく分散したことを表している。

日本人なら誰もが知っている写真、例えば幕末の坂本龍馬の肖像写真、敗戦直後のマッカーサーと天皇陛下の写真、東京オリンピック公式ポスターのようなものは、1991年の宮沢りえの「Santa Fe」あたりで終わるのかもしれない。ちょうどその頃を境に、例えば国民的歌謡曲がなくなり、世代別・趣向別にそれぞれの好みの音楽を聴くようになったように、「国民的」というものが消えたのだろう。

このまま拡散していくと思われた「日本」というものが、ひょっとしたらもう一度再編されるかもしれない。そう感じたのは東日本大震災があったからだが、しかし、その写真表現の極地であると僕が思う志賀理江子の「螺旋海岸」は、おそらく「国民的」写真にはならないだろう。それが良いのかどうか、わからないことではあるけれども、少なくとも「螺旋海岸」の中の写真は、イメージは、僕の心に深く突き刺さっている。



僕らは、こういう時代を経て、今という時代に生きている。「日本写真史」を通読して、僕が感じたのはそれだ。

僕が撮る写真は「今」の写真なのだ。今の機材を使い、今の社会で、今を生きている僕が、今を撮っている。

果たして僕は撮っているのか、撮らされているのか。

メディアによって喚起された、「良い写真」のイメージ。その残像を頭に残したままで、誰かと同じカメラを持ち、誰かと同じレンズを付け、誰かと同じ生活を送り、誰かと同じ写真を撮る。

SNSや写真共有サイトでは、同じ趣向を持った人とつながっている。僕が何かを撮り、何かを上げると、誰かがそれに対してリアクションをする。僕はもちろんそれを嬉しいと思う。コミュニケーションは快楽なのだ。でもそれは、結局のところ何を意味するのだろうか。僕にはわからない。

でも僕は、この本を読んで少し救われた気がした。過去の先人たちも、今の僕と同じように、時代の中に生き、時代に翻弄され、それでも写真を撮ってきた。それが価値を持つものであってもそうではなくても、日本の近代化の歴史とともに、写真は常にそこにあった。

それがわかっただけでも、僕は良かったと思うのだ。






写真がもっと上手くなりたいリターンズ(第三回)【書評】ホンマタカシ「たのしい写真3ワークショップ篇」

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写真は芸術ではないという話をチラホラ耳にするんですが


何が芸術かとかって、僕みたいな一般人には実のところどうでもいい話で、面白いものは面白いしつまらないものはつまらない。自分の感性を基本的には基準にしているので、別に世間の評価とかそんなのはどうでも良かったりします。

が、世の中というのはなかなかそうはいかないもので、世間から「アーティスト」とか「芸術家」とかみなされると、それはそれで色々メリットがあったりするんだろうな、という気がします。

「写真が芸術ではない」という人の根拠の中に、例えば東京芸大や多摩美や武蔵美に「写真学科」がないじゃないか、ってのをどっかで誰かが言ってるのを見たことがあるんですが。まあ、そんなのは権威主義だし、日大にだって大阪芸大にだって東京工芸大にだってあるじゃないか、という意見も言えるわけなんですけど。

でも、素人考えで、東京芸大に写真学科があったら、それはそれで今の日本の写真のあり方も何となく違うんじゃないかなあと思わなくもないです。そういう芸大の教授って、政府とかとコネができたりして、業界での発言権が増したりしそうだし、一般市民からの反応も違うわけで。

高名な写真家が芸大の教授でキャリアを終えるって、それはそれで悪くない話だと思うし。高校生が「大学行かずに写真の専門学校行きます」とか言い出したら親教師は心配しそうだけど、「東京芸大に行きます」とか言い出したら応援してくれそうじゃないですか。

あと、やっぱ大学って教育機関としてはそれなりに有効で、「学士」を与えるために歴史だったり技術だったりの、基本から応用までをある程度系統だったカリキュラムで教えられるってのはメリット大きいと思うわけです。


そういうレベルでの変化が世の中で起こると、今写真撮ってる人達の世間からのリアクションとかも変わりそうだし、一部の人は生活が楽になるかもしれないし、いろんな表現がもっと花開くかもしれないし、まあ悪い話じゃないよな、と思うわけです。


まあでも、やっぱり僕みたいな一般市民にはあんま関係ない話ですけどね。


ホンマタカシの「たのしい写真」を読んで一番最初に感じたのが、「ああ、ホンマさんは写真を『芸術表現だ』って言いたいんだろうな」ってことでした。

こんな歴史があるよ、こんな奥深いよ、こんないろんな表現があるよ、ついでに現代の芸術の流れ(ポストモダン)にも乗り遅れていないよ。写真はすごいよ。

ってことがたくさん書いてあるような気がして、優しい語り口の裏側にある、他の芸術分野からの抑圧に対するルサンチマンが旺盛に述べられているのかなあと下衆の勘繰りをしてしまい、僕はちょっと気後れしてしまったのです。

実は似たようなことは写真雑誌IMAを読んでも感じるんですけど、あの雑誌は最新の表現を取り扱ってくれたり、歴史的な位置づけをちゃんと示してくれたり、読んでて楽しいんですが、ところどころ「写真はアートなんだから芸術作品を買うようにプリントを買え!たった10万円なんだから他のアートよりも安いだろ!」って言ってるような気がして、ちょっとこっちも気後れする時がたまにあります。


日本の写真について語る言葉の少なさってのは、何に由来するのかなということを、ずっと昔から考えていたんですけど、前回紹介した「日本写真史」を読んで、何となく理由が見えてきた気がします。

日本の写真文化って、結局カメラ雑誌の文化なんですね。カメラ雑誌が写真のあり方のようなものを主導していて、多くのアマチュアカメラマンがそれに無批判に乗っかっているという、そういう構造がある。

カメラ雑誌のスポンサーはカメラメーカです。カメラメーカーは基本的に新製品を売るために雑誌に協力してるわけですから、カメラ雑誌の表現はメーカーのテクノロジーが主体なんですよ。これすごく変な話しで、被写体でも写真家の個性でも表現欲でもなく、メーカーのテクノロジーが日本のカメラ文化の主流にあるんじゃないかなあと。

毎月毎月カメラ雑誌は「今の時期はこれこれこういう写真を撮りに行くべき。機材は最新のこれを使うと簡単にきれいな写真が撮れるよ」って話をひたすら繰り返してます。アホかと思うくらいに。よくよく考えるとこれおかしな話で、そういうのばっかり読んでると、僕らはいったい何のために写真撮ってるのかわからなくなります。



少し前までは多くの人に写真を見てもらうためには紙に印刷しなければなりませんでした。自分で出版することも出来ましたが、より多くの人に届けるにはどうしても部数の多い媒体に掲載してもらわなくてはなりませんでした。

(中略)

ところがインターネットの普及により誰もが、何の制約もなしに、どんな写真でも思いのままに世界中に向けて発表できるようになったのです。

その結果、写真は驚くほど身近な存在となり、同時に写真に対する理解もどんどん深まっていきました ― という具合になったわけでは残念ながらありません。

せっかくカメラの煩雑な操作から開放されたというのに、依然として多くの人が気にするのはピントが合っているか、ブレていないか、明るさは合っているかなどのカメラの技術面であり、画素数をはじめとするスペックの話ばかりです。

ホンマタカシ「たのしい写真3」 p.6


ホンマタカシもこう書いてるので、やっぱり日本の写真文化の大きな流れはメーカー主導で、テクノロジーの話ばっかりなんだろうなあと。それに無自覚でいると、僕らの写真はどんどん画一的になって、つまらないものになり、次々に発売される新製品に翻弄され、それに資金を注ぎ込み、でも撮る写真は相変わらずの定番写真で、心身ともにどんどん消耗していく。気づいたら写真への情熱はなくなっていた。そんなアマチュアカメラマンがたくさんいそうな気がします。

「たのしい写真」やIMAを読むと、とりあえずそういう呪縛からは逃れられる。「あ、表現していいんだ」「あ、好き勝手に撮っていいんだ」と思えるようになる。

んでも、そっから先にどう進めばいいのか、それがあんまりわからない。で。その先どうすればいいのかを示したのが、今回の「ワークショップ篇」だと思います。

今回のは「たのしい写真 よい子のための写真教室」の続きなので、こっちを読んでない人はとりあえず読んだほうがいいです。で、そこで示した写真の大きな三つの流れ、決定的瞬間、ニューカラー、ポストモダンを実際にやってみようというワークショップの様子と、そこで作られた作品が出ています。

ちなみに僕もニューカラーはちょっと試しててこんなの撮ってたりするんですが、まあ難しいっすな。



ちなみにこの写真、FlickrでFavゼロ、コメントゼロという、完全にスルーされてる写真です。

以前の僕なら、ノーリアクションの写真はダメな写真だったってことで、さっさと削除して次にはキャッチーな写真を撮りに行こうとしてたんですけど、でも今は「ニューカラー的な何かを掴みたい」という目標がある。だから、もう今までのように反応にこだわらなくなりました。表現を見つける途中の作品なんか評価されなくて当然ですから。でも、僕の中では「これが撮れた」というのは実はけっこう大きくて、というのも今までこんなの撮ったこともなかったからなんですけど、実際に撮って現像した後に「何か先が見えた」気がしたのも事実です。


写真はもっと先があるし、僕はもっと新しい写真が撮れるし、それを撮りたいなと何となく思えるようになった気がします。


今回の本のワークショップの様子の中ですごく面白い場面があって


受講生 自分では3枚とも好きな写真です。

ホンマ いや、ここでは個人の好き嫌いは聞いていないんです(笑)。 (中略) もう1回、自分の好き嫌いや思いを横に置いた上で、それでも写真が撮れるかどうか考えてみてください。

ホンマタカシ「たのしい写真3」 p.91



これ全くその通りだよなと、えらく感動しました。

結局、自分の好き嫌いを判断基準に置くと、表現が稚拙なままで深まっていかないし、独りよがりになって人にも届かないんだろうなと。

そういうことを無自覚なままでいる「自分の写真」と、そういうのを全てわかった上で、あえて選んだ自分の「表現」としての「写真」、どちらが強いのか、言うまでもない気がします。


僕はもっと写真を知りたい。この本を読み終えて、思ったことはこれでした。





写真がもっと上手くなりたいリターンズ(第四回)【書評】森村泰昌「美術の解剖学講義」

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スポーツを例にするとわかりやすいんですが、誰でも最初は練習と勉強から始めます。


練習というのは、素振りとかリフティングとか体を使う訓練、勉強というのはルールや体の使い方、戦術や戦略のようなものをちゃんとわかることです。

こういうことをちゃんとやっていないと、当然ですけどプレーなんかできません。

僕は美大とか専門学校とかに行ったことはないので、そこでどんな教育やってるか知らないんですけど、大阪芸大通信教育部の写真学科のカリキュラム見ると、やっぱり写真史とか写真科学とか映像論とかをまずやってます。技術的なことと、知識的なことをまずやって、そっから表現に入るわけですね。

これ見て、まあ当然そうだよなあと僕は思ったわけです。というのも、例えば素振りもしない・キャッチボールもできない・ルールもわからない状態で野球なんかできっこないからです。

写真もたぶん同じで、良い写真を撮るためのルールがあるし、それを出来るようになるためのトレーニングも必要なわけです。なので僕も一応本屋で売ってるテクニック本とか読んでるし、カメラの構造的な内容はかなりの程度理解してるし、自分の体でそういうのを踏まえた写真を撮れるようになるという練習も多少はしています。


一応こんなのも昔読みました


が、もちっと画面そのものの構成、写真の構造に踏み込んだ知識なり技能なりを身に付けていかんとなあとずっと思ってまして。というのも、テクニック本というのは「こういう風に撮るといいのが撮れる」という具体例の羅列で、その背景にある人間の美意識なり、体系的な美学的知識なりが全然説明されてないんですね。


で、今回読んだ森村泰昌の本が面白かったので、その紹介です。


基本的にこの本は美術の本なので、写真だけに興味があって美術に全く興味のない人は読むところは少ないです。が、気の利いた人ならいい写真を撮るのに美術の知識はあっても無駄にならないとわかっていると思いますので全部楽しめると思います。


個人的に一番「すげー!」と思ったのが、アンリ・カルティエ=ブレッソンの「アルベルト・ジャコメッティ」という写真の解説です。

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いやあ、すごいです。

が、どうしてこの写真がすごいのか、ポイントが五つくらいあります。

1.主題への意識の持って行き方が見事

この写真の主題は何と言っても画面真ん中にいる雨に打たれた男の人です。この人に視線が自然と行き着くよう、画面中央から右下に斜め方向に走る白い円が続いています。さらにその斜めの線は画面真ん中にある木と、男の後ろ側にある歩道の線によって、見事に長方形の対角線として機能してます。カッコイイです。

2.繰り返される縦のイメージ

画面中央の木が写真全体に縦のイメージを作っているんですけど、それが右奥にある木、右後ろの建物の窓枠、左側で繰り返される窓枠という感じで、画面の中で何回も何回も繰り返されていきます。そのことで画面全体にリズムが生まれています。

3.上向きの矢印

雨がかからないようにと、コートを頭にかけた男の姿は、上向きの矢印のように見えます。それと同じ上向きの矢印が、画面左奥にある三角形の道路標識で繰り返されています。これがすごいアクセントになっています。

4.道路標識の母と子。道路を一人で歩く初老の男

で、その道路標識もよく見ると母親と子供の姿が描かれているように見えるのに、画面真ん中の男は一人で歩いてます。その立場や家族を推測させる、非常に意味深いモチーフに見えます。

5.ジャコメッティ

そもそも、この被写体のモデルはジャコメッティです。ジャコメッティって誰ですか?と僕は最初知らなかったんですけど、ググってビビりました。こんな彫刻を作ってる有名な作家です。


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ジャコメッティ 「歩く男」


線が歩いてる!!!


ジャコメッティの彫刻で一番有名なのは、この歩いている男です。ここまでわかった上で、もう一回写真を見てみます。恐ろしい。なんなんだ、この写真は。すごすぎる。ジャコメッティを撮るならこの写真しかありえないというくらいまで完璧に計算され、表現された写真だと思います。


ああそうか、撮るということはこういうことなんだ。写真はここまで出来るんだ。ここまで行けるんだ。すごいじゃないか。この写真に比べたら、僕の撮ってきた写真のシャッターのいかに軽いことか。恥ずかしくなります。


僕はこういう風に写真を見るという訓練を全然経てきていません。だから、写真を撮るときもただ漠然とシャッターを切っている。でもそれじゃあダメなんだとわかります。もっと人を見て、画面を見て、何を入れるのか、何を入れないのか、考えれるはずだと。

もちろんシャッターチャンスは一瞬です。考えてたらシャッターは切れない。それでも、画面を見る目、状況を判断する眼を養っていけば、意識ではなく体が「意味のある構図」を選べるようになるんじゃないか、という気がしています。



本物の写真には、画面にあるもの全てに、意味がある。「美術の解剖学講義」を読んで、そう思いました。



僕はもっと写真を見よう、と決意しました。




山木社長Q&A Part1:なぜペンタックス用のレンズは少ないのか他(その1)

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イメージングリソースは横浜で今年の2月に行われたCP+の会場で、多くのカメラ産業の経営者たちにインタビューをすることができた。今回はシグマCEOの山木和人氏に話を伺った。このインタビューで特に印象に残ったのが、サードパーティーのレンズメーカーはペンタックス用の交換レンズを作らない理由や、発表されたばかりのDPQuattroの形状の理由といった話だ。

デイヴ・エッチェルズ(ImagingResources:IR:カメラ産業はここ数年ますます細分化が進んでいます。かつてはキヤノンとニコンが全てを牛耳っていましたが、もはや状況は変わってきていると思います。オリンパスとパナソニックのマイクロフォーサーズがあり、ソニーはEマウント、FEマウント、Aマウントをそれぞれ出している。フジもXマウントを持っています。こういった新しい勢力がマーケットのシェアを奪いつつあるので、レンズメーカーも多くのマウントに対応していかなくてはいけません。このような状況に対して、シグマの戦略はどのようなものなのでしょうか?



山木:可能な限りできるだけ多くのマウントをサポートすることが、交換レンズメーカである当社の使命だと考えています。私たちのユーザーは写真愛好家が多いですから、そのマウントのユーザーに真剣な写真家が多ければ、できるだけサポートしていきたいと思います。もちろん、当社にも限界はあり、とりわけエンジニアの数は少ないですから、どのマウントをサポートするのかは慎重に判断しなければなりません。原則としてはできるだけ多くのマウントをサポートしたいというのは変わりません。

IR:多くのミラーレスはフランジバックがとても短いですから、似た設計のレンズを複数のマウントで使うことは可能なのでしょうか?例えば一番フランジバックが長いものを基準にレンズを設計し、他のマウントでは単に鏡筒を長くすることで対応するといったような。

山木:全く同じ光学系でですか?

IR:そうです。

山木:そうですね、可能だと思います。同じ設計で他のマウントに使うことはできます。

IR:それぞれマウントの諸元に合わせて、チップを書き換えるのですか。

山木:そうなります。

IR:なるほど。シグマのマウント交換サービスに対して多くの読者から賞賛の声をもらっています。とても好評のようですね。

山木:ありがとうございます。

IR:ユーザーにとってはメリットが大きいですからね。シグマはミラーレス用にDNシリーズを発売していますが、編集者の一人がEOSM用のレンズを出す予定があるのか気にかけていました。

山木:まだ決定していませんね。

IR:まだ決まっていないと。そうですね、確かにEOSMの売り上げはとても少ないですからね。

山木:そのようですね。

IR:確か以前、レンズ製造のコストが上がっているという話を伺ったと思うのですが、18-35mmF1.8 DC HSMARtレンズの値段はとてもリーズナブルでした。というのも、多くの人はコストがかなりかかっているので、もっと高いと思っていたからです。レンズの調整と検査の過程を統合することでコストが下がったとか、他のメーカーよりも効率的な生産方式をとっているとか、そういった工夫で製造コストが抑えられたのでしょうか?



山木:実を言うと、このレンズの製造コストはとても高いのです。性能がとても高いので、高価な材料を使わなければなりませんでしたし。レンズのクオリティはとても高いのですが、値段はそれほど高くないと思っています。製品の値付けというのは実はかなり戦略的に行っているのです。例えばこれはAPS-C用のレンズなのですが、APS-Cカメラのボディの値段は下がり続けています。なので、もしレンズの値段がとても高くなってしまったら、多くのユーザーにとってあまり魅力的に映らないだろうと判断しました。

IR:なるほど、もし性能そのままの値段を付けてしまったらボディ価格と釣り合わなくなってしまうので、APS-Cユーザーが手に取りやすい価格にあえて設定したわけですね。今週シグマの本社を訪れた時にエンジニアの人にも聞いたのですが、この18-35mmを作るきっかけというのは何だったのでしょうか?何らかの目標や戦略といったものがあったのでしょうか?

山木:実を言うと、このプロジェクトは父が主導したものだったんです。彼がまだ会社を経営していた時にスタートしました。



IR:本当ですか?ということは、もう何年も前から始まっていたのですね。

山木:はい。彼は世界初のF1.8ズームを作りたいという希望を持っていました。それがすべての始まりです。その当時、私は光学設計部門を率いていて、こうエンジニアに言ったのです。「父からF1.8ズームを作れという指示をもらいました。どうすれば実現できるのか研究を始めましょう」その後、レンズの製造は可能だという結論に達したので、製品化に動き出したのです。最終的にこのスペックに落ち着いたのは、APS-Cセンサーは被写界深度がフルサイズよりも深いので、F1.8ズームならユーザーにとって良い解決になるだろうという判断があったからです。

IR:それは興味深いですね。実際の設計は3年、あるいは4年ほどかかっているのですか?

山木:設計を始めてからですか?いや、おそらく2年ほどですね。

IR:わずか2年ですか。

山木:2年とちょっとです。

IR:私は今週の月曜にレンズ設計者の小山氏と話をしたのですが、このレンズを作ったのは人々を「あっ!」と言わせたかったからなのだと。私は彼に実際に多くの人が「あっ!」と言いましたよと返事をしました。

山木:ありがとうございます!

IR:現在シグマは既に発売済みのレンズを新たにグローバルビジョンレンズとして再発売をしています。新しいレンズは実際に新しく設計をしなおしているのか、それとも単にコーティングを変えてUSBドックに対応させているだけなのでしょうか?USBドックを使用することでチップの書き換えやAFの微調整、AF速度、手ブレ補正の効き具合といったものをユーザーが設定することが可能になりますが。



山木:基本的にほとんど全てのレンズは全く新しいレンズです。全て設計をゼロからやっています。唯一の例外は120-300mmF2.8 DG OS HSMSportsレンズです。これは光学系の設計は同じですが、機械部品を変更し、ファームウェアも変更しました。それ以外のレンズは全て最初から作りなおしています。

IR:それは大変な労力ですね。

山木:そもそも、グローバルビジョンのレンズは製造のコンセプトそのものから違うのです。なので、それに合わせて設計もゼロからやらなくてはいけません。しかし、120-300mmだけは最初から光学性能が新しいコンセプトに合致すると判断したので、それは変えませんでした。変えたのは機械部品とファームウェアだけです。



IR:以前の工場見学の時に聞いたことですが、現在山木氏が行っていることは先代の山木道広氏が行っていたことと、少し変わってきているとのことでした。例えば以前はレンズの発売時に設定を完全に決めてしまっていましたが、現在はユーザーが調整できる余地を残すようになっています。これが120-300mmをグローバルビジョンで出す時に行いたかったことなのでしょうか?それとも、もっと光学的な部分での改善を意図したものなのでしょうか?

山木:ユーザーの調整の幅をもたせることですね。これが狙いです。

IR:うちの編集者もグローバルビジョンのレンズにはとてもワクワクさせてもらっているのですが、DNシリーズだけは後続のレンズが出てくる気配がありません。これは単にリソースが限られているのが原因で、将来的にはもっと多くのDNレンズが発売されると期待していいのでしょうか?

山木:それは単に優先順位の問題です。当社としてももっとDNレンズを発売したいのですが、現在は既存の一眼レフ用の交換レンズの方が需要が多いのです。とりわけD800のような高解像度のカメラにはもっと性能の高いレンズが必要ですから、どうしてもそちらを優先しなくてはいけません。

IR:なるほど、もちろん実際に市場に出ている数も一眼レフのほうが多いですし、売り上げもミラーレスより遥かにおおいですからね。もう一つ販売戦略に関して質問があります。サムソンは自身をミラーレス市場における主要なメーカーであると宣伝しています。私も正確な数字は把握していないのですが、サムソンはミラーレスの売り上げはトップ3に入っていると言っていますし、来年にはトップになることを目標にしています。実際にサムソンがトップになるかどうかはわからないのですが、クリスマスからの年末商戦ではサムソンの売り上げは2位でした。

山木:本当ですか?

IR:はい。ミラーレスの中で、ですけれども。もちろんミラーレスそのものは、一眼レフと比べ依然として小さなマーケットですけれども、サムソンがミラーレス市場を引っ張るようになってきています。シグマはサムソンNXをサポートする予定はありますか?さきほど、可能な限り全てのマウントをサポートしたいとおっしゃっていましたが。



山木:まだ計画はないですね。

IR:なるほど、わかりました。他にもソニーのFEマウントについての質問もありました。もちろん答えはNoだと思うのですが。まだFEマウントはとても少数ですし。

山木:実はFEマウントに対する要望はたくさんもらっているんです。

IR:そうなんですか?面白いですね!確かにFEマウントユーザーは画質に対してはとても要求が高そうですから、シグマのグローバルビジョンのレンズを求めるのも理にかなっていますね。今後発売予定の50mmF1.4 DG HSM Art18-200mmF3.5-6.3 DC Macro OS HSM Contemporaryの発売日と価格はもう決まっているのでしょうか?

山木:今検討しているところです。

IR:わかりました。例えばフルサイズ用の28-300mmのようなレンズをグローバルビジョン用に発売する予定はないのでしょうか?これはとても古いフルサイズ用のレンズですけど。

山木:タムロンがちょうど同じスペックでレンズを出しましたね。需要が大きければ出すかもしれません。

IR:需要があればということですね。以前もお話されていましたが、フルサイズカメラのユーザーは画質に対する要求がとても高いです。このような高倍率ズームをフルサイズ用に作るとユーザーの要求に答えるのは難しくなるのでしょうか?

山木:レンズ設計に魔法はありません。もし10倍ズームを作ったら、単焦点と比べて画質は妥協しなければなりません。私たちは高倍率ズームよりも性能の高いレンズを出すことを優先しています。

IR:これは答えることが可能なのか、そもそも公開していいのかわかりませんが、最近発売されたニコンのカメラに互換性の問題があることを発見しました。D5300Dfです。私たちは解像度がとても高いのでテストに70mmF2.8 EX DG Macroをよく使うのですが、このレンズをニコンのボディに組み合わせて使うと露出に問題が出ることがありました。

山木:本当ですか?その話は初めて聞きました。

IR:私たちはこれまでもサードパーティーのレンズとカメラボディとの互換性問題をいくつか経験してきました。特にニコンのボディに多いです。このような問題は、カメラメーカーが意図的にサードパーティーを排除しようとして行われていると思いますか?

山木:全く検討もつきません。

IR:これは難しい話だと思いますけど、カメラメーカーが何をやっているのかはわからないのでしょうか?

山木:私は個人的にカメラメーカーのエンジニアとも付き合いがあります。もちろんすべての人を知っているわけではないのですが、彼らのものの考え方はよくわかっているつもりです。エンジニアという人達は意図的にそういう行動をするような人ではないと私は思っています。彼らは単に自社製品の性能を向上させているだけです。

IR:つまり、問題を改善し、より良い製品を作ろうとしているだけだと。

山木:そうです。その結果として互換性の問題が起こる可能性はありますが、それを意図的にやっているとは思えません。それはないと思います。

IR:興味深いですね。確かにエンジニアとはそういう人たちだというのは納得できます。彼らは単に自社製品を改善しているだけで、サードパーティーを排除しようとしているわけではないと。






山木社長Q&A Part1:なぜペンタックス用のレンズは少ないのか他(その2)

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IR:読者から、どうしてシグマはペンタックス用のレンズをあまり出していないのかという質問がありました。特にペンタックス用の望遠レンズを出してほしいと要望がありました。もしマウントを交換するだけで済むのなら、もっとペンタックス用のレンズを作ることは可能ではないのでしょうか?それとも、単にコストの問題なのでしょうか?ペンタックスマウントは比較的少数ですし。

山木:ペンタックスマウントは今でも機械絞りを使っているんですよ。



IR:ああ、なるほど。

山木:それなので、製造は他のマウントとは全く別の話になるのです。たとえ同じ光学系を使っても、ペンタックスマウント用のレンズを作るのは手間がかかります。ペンタックス用だけ特別な部品を使わなければならないからです。

IR:確かに他のマウントと比べてもペンタックスの絞りの調節は全く違う構造ですね。とても面白いです。

山木:私たちとしてもペンタックス用のレンズは可能な限りもっと出したいのですが、需要がとても少ないので頻繁に作ることはできないのです。在庫期間が長くなると私たちにとっても問題になりますから、ペンタックス用をたくさん作ることはできません。例えば300mm F2.8をペンタックス用に、例えば数カ月おきに生産するというようなことは可能かもしれません。しかし、レンズが欲しい人は数カ月後ではなく、今すぐ欲しいのです。しかし、そのように頻繁に生産することはできないのです。。

IR:なるほど、売り上げが少ないので多くの種類を生産できないけれども、極わずかの生産でも利益を出すことは可能なのですね。生産の間隔をあけることも可能であると。なるほど、興味深いですね。

超望遠レンズについての質問もいくつかもらっています。シグマの望遠レンズはあまり明るくないのですが、プロは400mm F2.8や600mm F4といったとても明るいレンズを必要とします。アマチュアは最近のカメラの高感度性能の向上もあって、F5.6くらいで十分だと思うのですが、シグマはこのような明るい超望遠レンズを計画したことはあるのですか?

山木:私たちにも既に300-800mm F5.6 EX DG APO HSMや800mm F5.6 EX DG APO HSMがあります。

IR:確かに。ただ、その読者はそれよりはもっと短い、例えば400mm F5.6といったスペックが気になるようです。

山木:随分昔の話になりますけど、かつて私たちも500mm F7.2 APOというレンズを出していました。スペックのわりにとても小型なレンズです。




IR:位相差AFでは動かないのではないですか?

山木:実は動くんですよ。

IR:本当ですか?

山木:位相差はF8まで動くんです。しかし、そのレンズの需要はほとんどなかったですね。

IR:なるほど。

山木:とても苦い経験になりました。今でも覚えています。

IR:なるほど、つまり同じ失敗を繰り返したくないと。それは理解できます。

もう一つ読者から質問があります。シグマはここ数年スーパーマルチレイヤーコートという言葉を使い始めました。これが読者が実際に聞いてきた質問です。「現在のペンタックスHDコーティングについて何かご存じですか?」と。シグマは常にコーティングを改良していると思いますし、ペンタックスのコーティングについて話すことも難しいと思いますので、質問を変えます。今のスーパーマルチレイヤーコートは過去のコーティングと比べて何が違うのでしょうか?技術的な説明だったり、その効果について説明をいただくことは可能ですか?

山木:私たちはコーティング技術を常に改善し続けていますし、特にここ数年は大きな進歩がありました。しかし、その具体的な中身について話すのは難しいです。基本的には同じような技術を使って性能が向上しているというだけの話です。それをマーケティング的にどう説明するかというだけです。

IR:つまり、これまでと同様の何層にも重なった、いくつもの屈折率を持つコーティングで、性能が高くなっていると。

山木:コーティングはフレアやゴーストを防ぐ方法の一つに過ぎません。私たちは鏡筒内部の機械的な部品も反射を防ぐための設計を施しています。




IR:ああ、小山氏がどうしてレンズエレメントの端を黒く塗っているのか説明してくれました。シグマはさらに光線を追跡して鏡筒内に反射するものが何もないか確認していますね。

山木:そうです。そのために私たちは自社でシミュレーションプログラムを開発しました。レンズを設計している最中でもゴーストやフレアをシミュレートしています。私たちにはゴーストとフレアの対策を専門にしているエンジニアが二人いますので、最初のプロトタイプから、発売前モデル、製造モデルと全てのプロセスでゴーストとフレアの対策を行っています。

IR:シグマにはゴーストやフレアだけを調べているエンジニアが二人もいるのですか?

山木:実際には3人です。しかし、そのうちの一人は現在産休中です。

IR:おお、つまりシグマにはゴースト・フレア対策の専門家が3人もいると。素晴らしいですね!スーパーマルチレイヤーコートに関しては過去数年間継続して改善を続けており、現在のコーティングは数年前と比較してもかなり優れたものであると。面白い。

とある読者が現在のシグマのロードマップには300mm F2.8と400mm F2.8があり、おそらく500mm F4も発売予定だと書いていましたが、このとおりですか?

山木:いいえ、それは単なる噂です。

IR:ただの噂なんですか?なるほど、確かにカメラ情報サイトは根拠のない情報を流すことがよくありますからね。

キヤノンやニコンのレンズと競争する上で、シグマの基本的な方針というのは純正と同等かそれ以上の性能のレンズをより安価で、ということなのでしょうか?それとも、同じ値段で純正よりも高い性能のレンズを提供したいのでしょうか?


山木:それは、私たちがどのようにキヤノンやニコンと競争しているのか、ということでしょうか?

IR:そうです。どのような戦略をとっているのでしょうか?

山木:基本的な方針はより高性能なレンズをより手にしやすい価格で、というものです。もちろん製品にもよりますけれど、基本的にはこの目標を達成するために努力しています。

IR:他の質問はDP Quattroについてです。発売はいつなのか、もう決まっているのでしょうか?

山木:まだ作っている最中なのでいつになるかはわかりませんが、夏が来る前に出せればと思っています。

IR:夏の前ですか。もし発売されたらテストするのがとても楽しみです!

フォビオンセンサーに関する質問もいくつかあります。今回のインタビューにはフォビオンからも二人同席してもらいました。ただ座って話を聞いてもらっているだけでとても申し訳ないです。

シリ・ラマスワミ(フォビオン社):レンズの話はとても興味深いです。

IR:これから発売される製品について多くの質問を受け取ったのですが、もちろん全てに返答できないと思います。例えば「18-35mm F1.8のフルサイズ用は?24mm F1.8は?」といったものには答えられないと思います。50mm F1.4 Artの値段もまだ決まっていませんよね?

山木:まだです。

IR:発売されるのはいつ頃になりそうでしょうか?

山木:今年の春ですね。4月か5月になりそうです。

IR:50mm F1.4 Artに関してはもうひとつ質問があります。いわゆる「年輪ボケ」に関してです。



山木:ああ、はい。

IR:前の50mm F1.4はとてもボケが滑らかで素晴らしいレンズだったのですが、新しいレンズは非球面レンズを使っているので、年輪ボケの発生が心配です。この事について何かコメントはありますか?

山木:はい。年輪ボケに関しては私たちも改善に取り組んでいまして、新モデルでは良くなっています。

IR:良くなった?それはいいですね。

山木:さらに、滑らかなボケに関しても細心の注意を払って設計をしています。ボケのシミュレーションをすることができますので、現在の製造前モデルでは計算と同じなめらかなボケを得ることができています。

IR:素晴らしい!それは良いニュースですね!

もう一つ、これも返答しにくいだろう質問があります。シグマが既存のミラーレス、例えばマイクロフォーサーズに参入する可能性はあるのでしょうか?もしくは、シグマ自身のミラーレスの規格を作り、参入することは考えていますか?

山木:もし私たちが無限のエンジニアを抱えていたらできるかもしれませんが、もちろんリソースは限られています。私たちが最優先しているのはシグマのロイヤルカスタマーです。それはもちろん、SDカメラのユーザーです。




IR:そうですね。当然です。もしエンジニアと予算が倍あればできるのでしょう。

山木:できます。

IR:別の読者もSD1 Merrillのクワトロバージョンについて質問してきています。同様にフォビオンのフルサイズについての質問もありますが、これも返事はしづらいでしょうね。








山木社長Q&A Part1:なぜペンタックス用のレンズは少ないのか他(その3)

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カメラのグリップを制作しているとある読者からの質問で、彼はDP Quattroのデザインに非常に感心があるそうです。これはカメラのデザインとしてもとてもユニークだと思うのですが、何か説明をいただけますか?

山木:まず理解いただきたいのが、このカメラは恐ろしく解像度が高いカメラです。ベイヤー換算で3900万画素相当になります。それなので、ユーザーも普通のコンパクトカメラを使うように、シャッターをカシャカシャ押すというような撮影をしないだろうと思いました。もちろん、カメラをどのように使うかは全てユーザーに任せていますが、私たちは両手を使ってレンズとグリップを持って、しっかりとカメラを固定し、ブレを最小限に留めるために慎重にシャッターを切ることを想定しています。




IR:なるほど、カメラの解像度が高いので、両手でしっかりとカメラを持ってほしいと。

山木:はい。しかし、カメラそのものは可能な限り最小の大きさになるように設計しました。カメラ内部にはD4やD800、1DXに匹敵するような巨大なシステムを積んでいるにも関わらず、です。

IR:本当ですか?それほど大きなシステムなのですか?

山木:はい、2つか3つのプロセッサーとアナログフロントエンドに、大量のメモリーを搭載しています。とても大きなシステムですが、ボディはこのサイズまで小さくしました。

IR:興味深いです。

山木:Quattroが大きいという人もいるんですが、それは既存のコンパクトカメラと比較した時の話です。でも、これは最高の解像度を持ったカメラなんですよ。

IR:本当にD4を持ち歩いているようなものなんですね。

山木:そうです。センサーから作られるデータサイズも大きいですし。

IR:これが最後の質問になります。新しいレンズを作るとして、どうやって明るさや焦点距離を決めるのでしょうか?次の製品をどうするのか、どうやって判断するのですか?

山木:そうですね、主に二つの方法があります。一つ目は、私たちには製品開発部門がありますから、そこのメンバーと議論してエンジニアに提案を出します。それに対してエンジニアから実現可能かどうか返事が来ます。

もう一つの方法はエンジニアから私に提案が来る場合です。「こういったレンズが作れるのですが、製品化してはどうでしょうか?」という感じです。後者の場合はものすごい性能のレンズが出来上がってくる事がありますね。

IR:面白いですね。それは考えたことがなかったです。つまり、製品開発部の人間はマーケティング部門と協力してどんな製品に需要があるのか調べているのですね。

山木:はい。私はとりわけ、製品開発部が大きな影響力を持たないように、最新の注意を払っています。というのも、もし開発部が完璧な計画を立ててエンジニアがそれに追随するだけだと、そこにマジックは何も起こりません。けれども、開発部があまり具体的ではない、コンセプトだけで、スペックに幅のある提案をすると、エンジニアがそれについて真剣に考えて、結果として良い製品が出来上がるのです。

IR:そうやってエンジニアと開発部のバランスをとることで、利益の出る製品を生産できるのですね。

山木:はい。それにエンジニアの方が開発部よりも知識が多いですし。

IR:開発部が例えば「18-200mm F2が欲しい」というかもしれませんしね。そういう提案は現実的ではないし、そもそも製造できない可能性もありますから。

山木:一般的には開発部は内側で物事を考えていますが、エンジニアは目標とするコンセプトを把握したら、既存の枠組みを超えた解決を生み出すことができます。

IR:なるほど、興味深いです。

山木:スペックから話を進めることもできるんですけど、例えばエンジニアが「もしこのレンズをもっと大きくしていいんだったら、ここの部分が良くなりますよ」みたいな提案をしてくれます。けれども、開発部がとても具体的なスペックの提案をしたらエンジニアはそれに従うだけで、とてもつまらない製品が出来上がります。私はそれが好きではありません。私はエンジニアが何かマジックをするのが好きなんです。「もっと重くしてもいいですか?そうすればここまで行けますよ」私はこれを求めているんです。

IR:なるほど、開発やマーケティングの人は「これ」が必要だと提案はできるけど、実現可能かどうかはわからないのですね。シグマでは例えば「明るい広角ズームを作ろう」と言うだけで、そのあとはエンジニアが何が実現可能か詰めていくと。その後「コストをこれくらいかけていいなら、これができます」とか「大きくしていいなら、こうできます」と話が続くと。面白いですね。

山木:もちろん、いつもそうやって作っているわけではありません。かなり具体的な要望をマーケティングから受けて、それに従うこともあります。

IR:これはフォビオンセンサーというよりはカメラに関する質問なのですが、現在のDPというコンセプトは大きなセンサーに単焦点レンズの組み合わせです。DPズームというものを作らないのはなぜなのでしょうか?




山木:何度か調べてみたのですが、レンズがとても巨大になってしまうのは避けられないのです。

IR:なるほど、ズームにするとコンパクトなカメラというコンセプトが崩れてしまうのですね。

山木:けれども、完全に諦めたわけではありません。現在も調査中です。ただ、考えて欲しいのはDPはAPS-Cサイズのセンサーを搭載しています。私たちはAPS-C用のレンズもいくつか生産していますが、それを組み合わせると・・・

IR:ああ、18-35mm F1.8はそれだけでDPのボディよりも大きくなってしまいますね。なるほど。




山木社長Q&A Part2:フォビオン・クワトロセンサーは本当に3600万画素以上の解像度なのか?(その1)

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元記事:Sigma Q&A Part II: Does Foveon’s Quattro sensor really out-resolve conventional 36-megapixel chips?




フォビオン社は撮像素子を開発しているシグマの子会社だが、センサーの構造は他のメーカーのものとは全く異なっている。フォビオンのセンサーは、それぞれのピクセルが赤・緑・青の各色を同時に取り込むことができるので、ベイヤー配列のセンサーと比べて解像度に優れていると、長い間宣伝してきた。

しかし、クワトロと名付けられたフォビオンの最新のセンサーは、これまでのフォビオンセンサーとは異なる構造をしている。最上部の青の層と比べて緑と赤の層の解像度が少ない。しかし、シグマはこのセンサーが、実際の画素数よりも遥かに多い「ベイヤー換算」の解像度を持つと主張している。クワトロセンサーは最上部に1900万画素の受光部しか持たないが、これはベイヤー換算で3900万画素に相当するとしている。

これは本当に正しいのだろうか。それとも、単なるマーケティング的な「願望」にすぎないのだろうか?

今年の2月に日本の横浜で行われたCP+の会場で、私たちイメージングリソースはシグマCEOの山木和人氏、フォビオン社ジェネラルマネージャーのシリ・ラマスワミ氏、そしてソフト部門の副部長であるルディ・グトッシュ氏に話を伺うことができた。インタビューの前半は主に山木氏との会話だったが、この後半ではクワトロセンサーが技術的にどのように機能しているのかについてと、その解像度がどれくらいなのかについて集中して質問した。



山木和人CEO、シリ・ラマスワミ、ルディ・グトッシュの各氏


技術的背景:フォビオンX3センサーと通常のセンサーの違い

インタビューに進む前にフォビオンセンサーの構造と、他のセンサーとの違いについて確認しておいたほうが良いだろう。もちろんここで解説する内容も全てではないので、もっと詳細が知りたい人はフォビオン社の解説ページウィキペディアを参照されたい。本当のマニアを自称するならフォビオンの学術論文を読むべきだ。

通常のセンサーは色のついたフィルターを使ってセンサーに入る光を赤・緑・青の三色に分離する。それぞれの受光部ではひとつの色しか検知できない。最も普及しているフィルターの配列方法はいわゆるベイヤーフィルターで、これは1974年にイーストマン・コダックで働いていたブライス・ベイヤー氏によって考案された。ベイヤーフィルターの配列はチェスのボードのようで、緑を感知するピクセルが青と赤の二倍あるのが特徴だ。

フォビオンX3センサーはそれぞれのピクセルで赤・緑・青の三原色を全て捉えることができる。それに対してベイヤーセンサーは一つのピクセルで一色しか検知できない。フォビオンX3センサーは、光がシリコンに浸入する時に、シリコンの深さによって到達する色が違うという特性を利用している。その結果、全てのピクセルで赤・緑・青の光の三原色を得ることが可能になる。



上の図はベイヤーセンサーとフォビオンX3センサーの比較である。構造を比較してみると、同解像度の場合、フォビオンセンサーの方がモザイクフィルターを利用したベイヤーセンサーよりも高い解像度を持つのは理にかなっているように見える。なぜなら、最終的にはベイヤーセンサーではバラバラに記録された赤・緑・青の各色を結合して各ピクセルでフルカラーの色を作らなければならないのに対し、フォビオンセンサーでは最初からフルカラーのデータを記録できているからだ。モザイクフィルターを使うと補足できる情報が少なくなるのは避けられない。

もちろん、それでは具体的にフォビオンセンサーがベイヤーセンサーに対してどれほどの解像度を持ち、どのような特徴があるのか、という疑問は残る。フォビオン社によるこの質問に対する答えは、フォビオンX3で撮られた画像は、同サイズの画像の場合、ベイヤーセンサーに対して二倍の解像度を持つ、というシンプルなものだ。この計算はセンサーの構造を考えれば理解しやすい。というのも、人間の視覚が持つ解像度は緑色に最も近いからである。ベイヤーセンサーはそのピクセルの半分が緑色なので、画像サイズに対して半分の解像力しか持たないという考えは当たっているように見える。

この問題に関しては、インタビューの中でも取り上げる。その前に、新しく発表されたクワトロセンサーについて見てみよう。


フォビオン・クワトロ・テクノロジー:少ない画素数でも解像度は維持できるのか?


フォビオンX3センサーの弱点の一つは、ベイヤーセンサーと比べてノイズが多いということだ。この理由はおそらく、センサー構造そのものにノイズが発生しやすいことに起因している。各層は縦に分離しているので光子が消失しやすいし、それぞれの画素で捉えられるのは純粋な色ではなく、混ざった色なので、そのデータから正確に色を再現することが難しいのだろう。この点についてはインタビューでも触れる。

一般論として、他の条件が全て同じだったら、受光面積が大きいほうがノイズは少なくなることはよく知られている。しかし、受光面積が大きくなってしまうと解像度が低くなる。しかし、それは本当に正しいのだろうか?クワトロセンサーでは、この矛盾する二つの要素を同時に解決したように見える。高解像度で偽色がなく、それでいて大きな受光面積による低ノイズを実現したという。クワトロセンサーの構造を見てみよう。

フォビオンの新しいセンサーであるクワトロセンサーは、およそ2000万の青の画素を持っているが、緑と赤は490万画素しかない。



上の図はクワトロセンサーの構造を表したものだ。最上部の青の層は下層の緑と赤に比べて四倍の画素を持っている。フォビオン社によるとこの構造でも、色解像度を含めて、これまでの構造と同じ解像度を維持できており、なおかつ色ノイズを劇的に減少できたという。この主張はいささか大げさに聞こえるし、三層のうち二層の画素が極端に少ないので、本当にそうだとぱっと見では理解し難い。

これらの点についてインタビューで尋ねてみた。以下がその内容である。




IR(Imaging Resources):私たちイメージングリソースは、クワトロセンサーについて話し合ってきたのですが、解像度をどのように考えればいいのか、なかなか結論が出ません。発表によるとベイヤー換算で3900万画素相当の解像度を持っているとのことですが、青の層に対して緑と赤の層は少ない解像度しか持っていません。もちろん、通常のベイヤーセンサーでは全体の画像サイズに対して少ない輝度情報しか持っていません。どうやって3900万画素相当という数字を計算したのですか?

シリ・ラマスワミ(FOVEON):さきほどおっしゃられたように、ベイヤーであれフォビオンX3であれ、センサーの構造と実際の画像との間には大きな隔たりがあります。しかし、今回の解像度については、クワトロセンサーでもメリルセンサーと同じように単純な話です。クワトロセンサーの場合は最上部の層が輝度を測定しており、その解像度が最も高いので、それをベイヤーセンサーの輝度情報と比較しているだけです。結果としては単純にフォビオンセンサーは同サイズのベイヤーの画像の二倍の解像度を持ちます。

IR:単純に二倍するだけなのですか?

FOVEON:そうです。この数字は昔から変わっていません。フォビオンの解像度はベイヤーの二倍です。

IR:その数字は実際にベイヤーで撮られた画像と比較して得られたものなのですか?

FOVEON:もちろん、実際の画像を比較しています。二倍という数字はセンサー構造から論理的に導かれるものでありますが、実際の測定でもそれが証明されています。フォビオンは全ての色を同じピクセルで補足し、高解像度な画像を作る。実際の撮影がそれを証明していますし、それは最初からずっと変わっていません。

IR:つまり、それは裏付けのある数字なのですね。理論的に予測できるものが実際の撮影で裏付けられ、正しいと証明されている。

FOVEON:はい、実際の測定で、私たちの計算が間違っていないことを確認しています。

IR:ベイヤーセンサーでは、私たちの視覚が緑に一番敏感であるという特性を利用して輝度情報を得ていますが、実際の緑色のピクセルは、画素数に比べて半分しかありません。例えば2000万画素のセンサーだったら、緑色の1000万画素しか輝度情報がないことになります。しかし、実際は赤や青の画素からもある程度の輝度情報を得ているのではないですか?

FOVEON:そうです。もちろん、輝度情報は単純に緑だけからなるのではありません。しかし、現実にはベイヤーセンサーの緑のフィルターは人間の視覚ととても似通った働きをしているので、輝度情報の大半はやはり緑から来ています。青と赤から得られる輝度情報は極わずかで、解像度に与える影響はほとんどないんです。

また、解像度がどれくらい得られるかは被写体によって大きく変わります。理論的に得られる最大の解像度を実際に撮ることはほとんど不可能です。例えばご存知のように、いくつかのケースではモアレが発生て解像度が落ちます。ベイヤーではセンサーで全ての色が等しく処理されるわけではないので、モアレが発生してしまいます。このような状況ではほとんどの情報が使い物になりませんから、解像度も何もあったものではありません。高解像度はそれよりも、なめらかな階調に寄与することの方が実際は多いのです。

IR:なるほど、面白いですね。私たちがテスト画像を撮影する時に、私が作った小さな花飾りを使うんですが、黒地に赤、緑、青を重ねたものや、緑地に赤や青を重ねたものを撮影します。そうすると面白いことにものすごく大きな違いが出るんですよ。黒地に緑色が最も解像度が高く、画面中央では理論値に近い解像度を出せます。しかし、とりわけ青地に赤の組み合わせはものすごくぼやけます。しかし、フォビオンではどの組み合わせを撮影しても全く同じなのです。

FOVEON:はい、それは実際私たちもチェックしていることです。全ての色に対して均一な解像度を持っているのがフォビオンです。

IR:以前シグマの本社を訪問した時社長と話をしたのですが、最上層は青の情報をすべて持ってるから便宜上「青色」を担当していると説明していますが、実際は他の色も吸収していますよね。なので、一番上は青と言うよりは輝度情報に近いと。これについてもう少し説明をいただけますか。もちろん、今話した内容以上のことは言えないのかもしれませんが、解像度を得るためにどうやって輝度情報を取っているのか説明をお願いします。

山木:分光特性の図があったのでそれを見ながら話しましょうか。

IR:それは助かります。




FOVEON:では始めましょう。先ほども話したように、フォビオンは人間の視覚、とりわけ網膜が光に反応するあり方にとても似通っています。人間の視覚はとても幅広い色に反応して情報を得ているのですが、フォビオンもそれと同じで、三つの層それぞれが全ての色と輝度情報を得ています。それなので、問題になるのは、いったいどのようにすれば最も簡単に色と輝度の情報を取り出せるのか?ということです。どのやり方が、最もノイズが少なくデータを得られるのか。

IR:なるほど。そしてもちろん、最下層の赤を担当する画素ではほとんどわずかの青しか得られないのですね。

FOVEON:たくさんはないですね。

IR:けれども、わずかに混ざっている。

FOVEON:はい、いくらかは残っています。そして緑はもっとたくさん最下層に残っています。

IR:なるほど。

FOVEON:当然ですが、この方法にはいくつか弱点があります。例えばフォビオンが高感度に弱いということは、多くの人が既に知っていると思いますが、現在のベイヤーセンサーと同じようにはできません。

IR:色を取り出すのに各層のデータの差をを計算しなければいけないので、もしノイズが混入したらその数字が大きくなってしまうのですね。

FOVEON:そうです。フォビオンは各層の差を引き算で求めていきます。しかし、この方式にも長所があって、それは各層のデータを積み重ねることができるということです。もし各ピクセルで一色しか測定できなかったら、そのデータを積み重ねることはできません。フォビオンはノイズの少ない、とてもきれいな絵を作ることができます。









山木社長Q&A Part2:フォビオン・クワトロセンサーは本当に3600万画素以上の解像度なのか?(その2)

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IR:でも、クワトロセンサーは違いますよね。下層の緑と赤は解像度が低いです。受光面積が広くなるのでノイズが減るというのはわかるんですが、どうやって少ない画素数から輝度と色の情報を得ているのか、もう少し説明してもらえますか?

FOVEON:これまでは上から順に赤・緑・青の画素があると説明してきました。しかし、これは事実ではありません。どの画素も、得られる情報は純粋な色ではないのです。しかし、計算によって詳細な情報を得ることが可能になります。他の層との違いを計算することで、一つのピクセルの輝度と色の情報が得られます。これがフォビオンの特徴です。分光特性では、青い曲線が最上部、緑の曲線が中間、赤い曲線が最下層のそれぞれの画素が反応できる光をあらわしています。これで各層の働きがどのようなものなのか、わかると思います。



フォビオンセンサーでは、どれくらいの深さまでシリコンに浸入するかによって、光を三つに分離します。これまではこの三つを青・緑・赤と呼んでいましたが、図を見ていただければわかるように、全ての層が多かれ少なかれ全ての色に反応しているのがわかると思います。この特性がクワトロセンサーを作る上での鍵でした。

最上部の青層で得られる色は、純粋な青ではなく「青っぽい」色です。同様に中間では緑っぽい、最下層では赤っぽい色が得られます。どれも純色ではありません。このフォビオンセンサーの特性のおかげで、情報を損なわずに実際のデータ量を減らすことができます。全ての層の色が混ざった色だということは、逆に言えば最上部のデータから下層の色のデータが復元できるということです。これはなかなかパッと理解し難いことかもしれませんが、この方法でとてもきれいな絵を作ることができるんです。

IR:なるほど。全ての層が全ての色の情報を持っているので、それを関連付けることができるのですね。最上層のデータから各ピクセルに赤がどのくらい入っているかわかるので、最下層の赤の割合を逆算して求めることができると。

FOVEON:その通りです。この計算はプログラムで自動的にできるんです。また、このことで、実際必要ではなかった情報を得る必要もなくなります。下層の画素をまとめることで受光面積を広げることができ、結果的にノイズの量も減らすことが可能になりました。

IR:とても面白い考えですね。不必要に大きかったデータを減らすことで処理を高速にし、さらにノイズも減らすことができたと。

FOVEON:この計算を行うには分光特性の情報がとても大事になります。フォビオンは単なる三層構造のセンサーというだけではなく、それぞれの層が幅広い情報を含んでいるんです。

IR:つまり、最上層に青のフィルターを置いているというような単純な話ではないと。

FOVEON:もし各層が純色しか捕捉できなかったら、他の色の情報に関連付けられないので、このセンサーは成立していません。

IR:とても面白いですね。ただ、やはりこの構造に何らかの弊害があるのではないかと思うのですが。全てがうまくいくというのは、にわかに信じがたいです。緑と赤の解像度が低いということはないのでしょうか?フォビオンで偽色が発生することはあまり考えにくいのですが、最終的にどうなったのかが気になります。

FOVEON:これも山木社長が使うプレゼンの資料なのですが、片方が3600万画素のベイヤーの画像で、もう一つがクワトロのものです。



これはベイヤー3600万画素と、クワトロセンサーの解像度のテスト画像です。左がベイヤーで右がクワトロですね。どちらもローパスフィルターは付けていません。なので、ローパスなし同士で比較しやすいと想います。画像を見てもらえればわかるのですが、クワトロセンサーは3600万画素のベイヤーを解像度でしのいでいます。

IR:おお、素晴らしいですね。

FOVEON:クワトロの画像はとても綺麗です。これまでのフォビオンと同じ滑らかで高精細な画像を、クワトロでも作ることが出来ました。

IR:けれども、このチャートはモノクロ画像ですよね。

FOVEON:これはカラー画像です。モノクロじゃありません。

IR:ああ、なるほど、カラー画像ですか。被写体がモノクロなんですね。

FOVEON:そうです。被写体がモノクロなので、画像をカラーで生成した時、その違いが明白になります。

IR:確かにベイヤーでは偽色が出ています。でもクワトロでは一切偽色は発生していませんね。

FOVEON:もちろん、クワトロでも限界近くで偽解像は出ています。これは避けられません。

IR:偽解像が出るのはしかたないです。でも偽色は出ていない。

FOVEON:この結果は、私たちが計算した通りのものです。さらにクワトロとメリルセンサーとの比較もあります。これです。



これは左側がメリルセンサーで、右側がクワトロセンサーの解像度を比較したものです。解像度の数字はフォビオンによるものです。

IR:興味深いです。

FOVEON:最初は理解しづらかったかもしれませんが、この説明でわかってもらえたと思います。クワトロセンサーは間違いなく3900万画素相当の解像度を持ちます。

IR:そうですね。しかもクワトロセンサーには偽色は発生していない。これはきちんと色と解像度が分離されている証拠です。

FOVEON:フォビオンに偽色は出ません。

IR:緑と赤の層を大きくすることでノイズ性能が改善されるとのことですが、具体的にクワトロセンサーはどれくらい高感度性能が向上しているのですか?

山木:おおよそ一段分です。

IR:一段ですか?

山木:もちろん、被写体にもよりますが。

IR:そうですね。

山木:平均して一段ということです。

IR:クワトロでは実際の画像サイズが大きくなり、おそらく色や輝度の情報を得るための内部のデータ処理も複雑になっていると思うのですが、クワトロの連写速度はメリルと同じくらいの秒速2コマから3コマくらいになるのですか?。



山木:今回は新しい画像処理プロセッサーを使っています。

IR:つまりもっと性能の良いプロセッサーなのですね。確か三つのプロセッサーと四つのアナログフロントエンドを搭載しているとか。

FOVEON:ああ、TRUE IIIはバージョンの名前なので、三つあるわけではありません。プロセッサーは一つでアナログフロントエンドは四つです。

IR:一つですか。でもより高性能なのですね。

さて、とりあえずこれで聞きたいことは全部聞きました。図やグラフはとても参考になりました。実際にdp2 Quattroを手にするのがとても楽しみです。私たちの研究室にはD800Eもありますから、dp2 Quattroを手に入れたら私たちの設備でテストしたいと思います。長い時間ありがとうございました。






フォビオン現像テクニック(第十九回)フリンジ除去設定でアートレンズの雰囲気を味わう!

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SIGMA SD1 Merrill + 30mm F1.4 EX DC HSM

やあやあ皆さんこんにちは

最近のシグマはクワトロが発表になったりアートレンズの性能がすごかったり、いろいろワクワクすることが多いですね!

特に最新の50mm F1.4 Artは40万円もするカール・ツァイスのOtusにも匹敵する性能で、それが何と4分の1の10万円で買える!ということで、「安い!」「予約した!」「買った!」という報告がネットで相次いでいる模様です。

シグマSAマウントはまだ発売してないので、僕も早速予約した!と言いたいところなんですが、そこはそれ、家族持ちの底辺リーマンの給料じゃ10万円なんかおいそれと出せません。しかも僕旧型の50mm F1.4 EX DG持ってますからね!

同じ焦点距離と明るさのレンズ持っててさらに10万円のレンズ買うなんて、家族をどうやって説得すればいいんですか!

無理無理無理ということで、おそらく新型は指を加えて眺めてるだけになると思います。

しかしそうは言ってもアートレンズは欲しい。(ちなみに僕グローバルビジョンのレンズ一本も持ってません(笑)と言うかそもそも結婚してからレンズ一本も買ってな)欲しいけど買うあても余裕もない。ないけどその描写は手に入れたい!

ということで、パンが無ければケーキ、じゃありませんがレンズがなければ現像でどうにかすりゃいいんですよ!

幸いなことに、フォビオンのRAWは現像次第で化ける(というかデフォだとそもそも使いものにならない)し、最近はSPPの機能もだいぶ増えてきたので、アレコレ使ってアートレンズの雰囲気だけでも楽しみましょう!


ということで今回のレンズは2005年発売の30mm F1.4 EX DC HSMです。

イメージ 1
まだまだ現役


さて、この発売から10年も経とうかという30mm F1.4(旧)ですが、これけっこう良いレンズで、実は中央の解像力はDP2 Merrill並なんですよ(笑)。周辺は絞っても怪しいし、歪曲出るし、そもそも真ん中以外のピントは合わない事が多いんですが、被写体真ん中に持ってきて開放でボケさすといい仕事します。中古で3万円くらいで売ってたら手に入れるのをオススメします。

ということで、けっこう癖のあるレンズなんですが、ビシッとハマればいい仕事するレンズということで、アレですね、シグマのカメラみたいなレンズですね!(笑)

ところが今話題のアートレンズは、どうも聞くところによると優等生的なレンズのようです。画面全体にわたって解像力が高いのはもちろんなんですが、特に山木社長が言っていたのが「軸上色収差が少ない」、ということ。実際社長のプレゼンでもそのことを力説してました。

2年前のフォトキナの山木社長のプレゼン

軸上色収差というのが何なのか実はあんまよくわかってないのですが(笑)、何となくボケの前後に出るピンクとか緑のアレのことなんじゃないかなということで、ネットにある説明読むと、やっぱそんな感じですね。アートレンズではそれが出ないと。素晴らしい!じゃあ普通のレンズはどうなの?ということで、今回の作例。


イメージ 2
おお、なんか出てる!


とりあえずオートで開いただけなんですが、なんか緑っぽいのとかピンクっぽいのが出てますねえ。こんなのレンズの味だと思って気にしなきゃどうってことないんですが、なんか高いレンズだとこれが出ないと聞くと急に悔しくなってしまうのが人情というもの。ということで、これを消してしまおうという話です。

まずは通常の現像をします。僕は子供を撮った時は決め打ちの設定がありまして、まず「レンズプロファイル適応」「ノイズリダクション全部最大」「カラーモードポートレート」にします。

イメージ 3
レンズプロファイル適応

まずレンズプロファイルですね。これやると(たぶん)倍率色収差を消してくれます。シグマのレンズなので、会社が測定した正確な数値を適応してくれてるに違いないと信じて、必ず設定しています。SPP6ではこれをデフォにしておいて欲しいな!


イメージ 4
ノイズリダクション

次はノイズリダクション最大です。これもけっこう優秀で、特に輝度ノイズ最大にすると肌のガサガサ感が消えます。ちょっとベイヤーっぽくなっちゃうんですが、シャープな部分はぼやけないので、まあいいかなと。色ノイズは暗部の変な色が少なくなります。バンディングノイズはやってもあんま変わらない気がするんですが、ついでなのでいつも最大にしてます(笑)


イメージ 5
カラーモードはポートレート

最後にカラーモードをポートレートにします。これもけっこう強力な設定で、ここまでやるとかなりぺったりしてベイヤーっぽくなっちゃうんですが、まあ子供の肌なので、つるっとしててもいいかなと。


ここまでやって基本的な絵を決めたあとで画像補正します。

イメージ 6
画像補正はこんな感じ

ほとんどいじってないんですが、露出ちょっと高めにしつつハイライト下げて飛んでる部分を減らしてます。あと、アートレンズは解像度が高いらしいので、むしゃくしゃしてシャープネスを最大にしときました(笑)。今までの設定でかなりぺたっとしてしまっているので、まあ別にいいかなと。


さて、ここからが今回のメインの話です。

フリンジ除去のパネルを開いてスポイトマークのアイコンをクリックします。

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そんで、おもむろに画面上の緑っぽい部分をクリックします。

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ここをクリック

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おお、消えた!

あっさり消えましたね。手前のペットボトルの蓋も同じ緑っぽい色なんですが、あんまり影響を受けていません。この機能を使えば消したい色だけ消えるので、かなり便利です。

ついでなんで、ピンクっぽいのも消しておきましょう。

イメージ 10
これを

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こんな風に


ピンクは消すと肌の色に影響が大きい事が多いので、全体をもう一度確認して適応した場合としなかった場合を比較して、大丈夫だったら消すようにした方がいいです。被写体によって色相範囲と適応量をアレコレ調節しましょう。

これでいいかな


ちょっと肌の赤みが消えて微妙に血色が悪くなってしまったんですが、これはこれで背景に合ったちょっと落ち着いた雰囲気になったんで、まあいいやということで、これで保存しました。


どうでしたか?これで何となくアートレンズで撮ったっぽい、収差のない、シャープな画像ができた気がします(笑)。

ということで、SPPの機能を使えばかなり収差は消すことができます。実際は指定した色を画面から全部消してしまうので、画面上に同じ色の被写体があればその色も消えてしまい、この方法も万能ではありません。高いレンズにはやっぱりそれなりの理由があるもんですねえ。

でも、今ある機材を最大限使って、良い結果が出せるならそれに越したことはないので、色々工夫して見る価値はあると思います。ということで皆さんも色々工夫してみてください。


ああ、でもやっぱアートレンズ欲しいなあ!!


ではまた!




フォトキナ2014 山木社長インタビュー

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フォトキナ2014の会場で、私たちDigital FocusはシグマCEOの山木和人氏にインタビューを行うことができた。新製品のカメラやレンズについてと、シグマの将来について話を聞いた。

Digital Focus(DG):dp2 Quattroが既に発売済みで、dp1の発売も決まりました。シリーズの完結となるdp3も発売が近いのではないかと感じます。レンズ交換型のdpというのはカメラメーカーとしても魅力的な商品だと思うのですが、発売の予定はないのでしょうか?

山木:マーケットの動向は常に注目しています。しかし、私たちにはレンズ交換式のSDシリーズがあります。もし新しいマウントを発表すれば、私たちは二つの交換レンズのラインを持つことになります。新しいラインを作れば、そこでも新しいユーザーに対する責任が発生しますから、それにふさわしいレンズを揃えなければなりません。しかし、私たちの開発リソースは限られていますし、中途半端なものを出してユーザーを失望させる事はできません。技術的にラインを二つ持つことは可能ですが、現在の優先順位は既存のラインを充実させることです。レンズ交換式のSDと固定式のdpシリーズを今後も発展させていきます。

DG:ここ数年でシグマは数々の優れたレンズを発売してきました。例えば50mm F1.4, 35mm F1.4, 18-35mm F1.8などです。しかし、多くのプロ写真家はフルサイズ用の24-70mmや70-200mmなどが、リニューアルされることを望んでいます。これらのレンズのリニューアルの予定はあるのでしょうか?

山木:ここで具体的に答えることはできません。しかし、リニューアルする必要性はあると感じています。

DG:レンズ開発において一番難しいことは何でしょうか?

山木:写真家の需要に合うレンズを作ることです。コンパクトで軽量のレンズが欲しい人もいれば、動画を撮る人もいます。最新の高解像度なセンサーにも対応しないといけません。そのためにはとても高性能なレンズを作る必要があります。私たちは50mmや24-70mmといった「基本的な」レンズを作らなければなりません。しかし、それと同時にユーザーを驚かせるような製品を作りたいとも思っています。

シグマとしては画質を向上させることを第一に考えています。もちろん、手ブレ補正技術の向上やAF速度の改善なども必要です。そのような様々な要因を考えて、製品のバランスを取っていくのが一番大変ですね。



DG:ソニーのα7用のレンズについて予定はありますか?

山木:ありません。今のところ開発予定はないですね。

DG:シグマはミラーレス用に僅かなレンズしか販売していません。ユーザーからの反応はどうなのでしょうか?

山木:各国のマーケット事情にもよりますね。日本では、私たちのミラーレス用のレンズは、性能が高いこともあって好評です。ヨーロッパでは事情が少し違います。ミラーレスを所有しているユーザーの多くは初心者なので、私たちのレンズもそのユーザーに合わせた値段にしないといけません。現在はソニーや富士フィルムが性能の高いミラーレスを発売していますので、これに対応したレンズを作る必要があるとは考えています。

DG:新しいdp Quattroシリーズのデザインはとても独特です。ユーザーからの反応はどうなのでしょうか?また、新しく発表になったLCDビューファインダーは、まさに唯一無二といって良いと思います。他のメーカーはどちらかと言うとレトロなデザインに回顧しているように感じられるのですが、シグマは新しいデザインに向かっています。

山木:クワトロは他のカメラとは違います。dpは最高の画質を提供することが目的ですが、カメラそれ自体を素晴らしいものにしたかったのです。筐体のデザインにとりかかっていた時、私は開発チームに既存のものとは全く違う方法で作るように指示を出しました。車で言うと、dpはトヨタというよりはアルファロメオやロータスに近い考えで作られています。もちろん、私自身50年代から60年代のレトロなデザインは好きです。当時の製品はとても美しいデザインですし、優れた性能のものもいくつもありました。しかし、製造する立場からすると、話はもっと複雑になります。それらのデザインをコピーしても、ほとんどの場合より質の悪いものが出来るだけです。私たちは常に新しいものを作っていかなくてはいけません。

DG:新しいSDシリーズでは、何か画期的な変化が起こるのでしょうか?

山木:SDシリーズのマーケットはニッチです。しかし、SDシリーズのユーザーはとても熱心にシグマをサポートしてくれているので、私たちはその期待に応えなければなりません。SDシリーズの後継機は必ず発売しますが、今の時点ではデザインや性能などの詳細を話す段階ではありません。



シグマ ― 最高の画像を手に入れるために(その1)

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元記事:SIGMA - ONE MAN’S QUEST TO ATTAIN THE PERFECT IMAGE


シグマとはどんな会社か


かつて日本には光学産業のブームが起こっていた。その最中の1961年、山木道広はレンズメーカーを設立した。当時彼は27歳だった。

わずか数年の光学メーカーでの勤務経験を頼りに、彼は財産を投げ打ってリアコンバーターを設計・製造する会社に全てを賭けた。シグマが誕生した瞬間だった。

先進的な設計思想、高い光学設計の能力、そして強固な決断力を背景に、山木道広は後に写真産業の中でも最も賞賛されることとなる彼のキャリアをスタートさせた。



それから52年の時が経った。シグマは現在7カ国に支社を置き、全ての大陸に配送センターを持つ、世界最大の交換レンズ製造会社となった。シグマは全世界で2000人以上の従業員を抱えているが、会社そのものは山木家による同族経営のままである。2012年の山木道広の死去はカメラ産業全体にとっても大きな衝撃だったが、彼の資産は息子の和人に受け継がれている。

山木道広は生前、和人と協力してシグマという会社そのものを変化させる計画を練っていた。シグマはかつて安価な交換レンズメーカーとして有名だった。しかし、カメラの性能は向上を続け、要求されるレンズ性能も上がり続けている。シグマは限られた予算と経験の中で、最高の性能のカメラとレンズを作るメーカーへと変貌を遂げようとしていた。

この一年に発売された数々の革新的で高品質な製品を見ると、山木和人はシグマのユーザーに世界最高の製品を提供するという、シグマの伝統をしっかりと受け継いでいるようである。


2.5倍リアコンバーターレンズ

カメラ産業の歴史の中で最も革新的な発明の一つと考えられている。リアコンバーターレンズは写真愛好家の必需品として、そのバッグの中に常備されており、全世界で数百万個も売れた。




シグマという会社


シグマは1961年に設立された。当時の東京には何十もの大きな光学機器メーカーがあり、その中にはニコンやキヤノン、旭光学などもあった。シグマはそれらのメーカーの近くにオフィスを構えたが、当時の東京では熟練の技術者は既に他のメーカーに雇われていた。道広は東京の外で技術者を探そうと決めた。

そんな中、とある技術者が彼の生まれ故郷である会津の人々のことを道広に話した。会津の人たちは粘り強さと細かな作業に秀でていることで有名だという。さっそく会津に視察に向かったが、それは実りの多いものだった。技術者の語った会津の人たちの特質はその通りで、地元の人達も、地域に工場を作るよう道広を説得した。地酒が盛大に振る舞われる中で行われた交渉だったので、道広は詳細をわからなかったが、ともかく道広は工場を作ることに同意した。次の朝起きてみると、前の晩の交渉はただの冗談ではなかったことに気づいたので、道広は自分の言葉に責任を持たなければならなかった。地域のある家の部屋を間借りして、作業員を一人雇い、旋盤を購入して部屋に設置した。シグマの会津工場の始まりは、この小さな部屋からだった。




会津の人たちが精密な作業に向いていることに、道広が気づくのに時間はさほどかからなかった。1973年にシグマは会津に正式に工場を建設することを決断する。現在では会津工場は最新のハイテク工場として知られている。その大きさは4500平方メートルを超え、中央に情報管理システムと、垂直統合された生産ラインを持ち、それにより複数の生産ラインを同時に効率的に動かすことが可能になっている。シグマの製品は全て日本の会津工場で生産されており、わずかな部品以外は、全て自社で設計・製造を行っている。作業効率が高いので現場でも意思決定ができる。また、情報を共有することで、革新的な設計が可能になり、生産効率や生産量、さらに品質が向上している。

レンズの品質管理はA1と呼ばれるシグマ独自の検査装置によって行われている。このシステムはシグマのフォビオンセンサーを使うことで、これまでの装置では検出不可能だった高周波の画像を検査できる。グローバルビジョンのレンズは全て、このA1による厳格な検査を通過しているので、設計上の理論値に近い性能を実際の製品でも発揮できている。



シグマの創立者


山木道広は1934年に生まれた。彼は決して裕福な家の生まれではなかった。1956年に大学を卒業する前からすでに、家族を支えるために複数の光学メーカーで働いていた。彼は大学を卒業するとすぐに、とある光学メーカーで働き始めたが、それまでの勤務経験もあって、すぐに会社内で頭角を現した。しかし数年後にその会社は倒産してしまい、道広はかつての取引先へのコンサルタントとして働き始めた。設計に関する斬新なアイデアをいくつか取引先に紹介すると、彼らは道広に会社を設立して製品化するよう頼むようになった。結果としてそれが1961年にシグマ研究所の設立につながった。




シグマは設立当初から、それまでのカメラ産業の製品にはなかった、新しい製品を市場に投入していった。その中の一つ、世界初のリアコンバーターレンズによって、シグマは世界から注目を浴びる企業となった。そのシグマの発明によって、カメラ業界全体が変わってしまったのだ。

道広はそれまでの蓄えの全てを、リアコンバーターレンズの開発に賭けた。これは元々、彼が別の光学メーカーで勤務していた時に思いついたものだった。それまではテレコンバーターレンズはレンズの前面に取り付けるものしかなかった。写真家はレンズの前玉のサイズに応じて、複数のコンバーターレンズを持ち歩かなければならなかった。しかし、リアコンバーターレンズはレンズとカメラボディの間に装着するので、どのサイズのレンズにも取り付けることができる。リアコンバーターレンズは当時よりも遥かに高性能になっているが、今でも世界中の写真家によって愛用されている。




山木道広がカメラ産業に残した功績はこれだけではない。リアコンバーターのあと、彼はYS:ヤマキシステムという名のシステムを考案した。これは一つのレンズを複数のマウントのボディで使うことができるシステムだった。彼はさらに、世界初のマクロズームレンズ、インナーフォーカスの望遠レンズ、連続フォーカスのマクロズームレンズなどを次々と発売していった。

山木道広は写真産業の先駆者であり、優れたビジネスマンだった。彼の写真に対する生涯に渡る貢献は多くの人に認められてきた。彼は亡くなるまでに世界中で様々な賞を受賞してきた。1994PMA殿堂入り、1998年国連IPCリーダーシップ賞、2008年国連IPC殿堂入り、2011年ゴールデンフォトキナピン受賞などである。また2013年にはPMDAが功労賞を追叙した。授賞式で道広の代わりに賞を受け取った山木和人は次のようにコメントした。

「父の写真への情熱を間近で見ることができたのは、私にとっても幸運なことでした。毎日のように彼の努力とその成果に刺激を受けてきました。父はこの賞を受けることができてとても喜んでいることと思います。シグマのカメラ、レンズ、アクセサリーを作り続けることで、写真の世界を広げていくという父の目標を、私も追い続けたいと思います」





シグマ ― 最高の画像を手に入れるために(その2)

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シグマの新しい未来


先日私はシグマのCEO山木和人にインタビューする機会に恵まれた。私は父親の後を継ぐということが彼にとってどのような意味を持つのか、そしてシグマというブランドを成長させていくために、どのような計画を持っているのか、話を聞いた。

「子供の頃はシグマ本社の最上階にいつもいた事を覚えています」と和人は言う。「会社はいつも私の人生の一部でした。小さな頃から私が会社を継ぐことになると聞かされてきたので、それは自然なことでした。私はそのことに重圧を感じていました。とても大きな重圧です。けれども、それをやらなければならないということも、私はわかっていました」

上智大学の修士課程を卒業し、25歳の時に和人はシグマに入社した。彼は設計室の中央にある道広の机の隣に座り、シグマでの仕事を開始した。和人によると道広の机は彼が最後に出勤した日のままで、今もフロアにあるそうだ。

「理由はわからないのですが、机がそのままだと気分が落ち着くんです」と和人は言う。「彼は私の父であると同時に師でもありました。彼の仕事に対する情熱を私生活で、職場で間近に見ることができたのはとても幸運なことだったと思います。彼から多くのことを学びましたし、その献身と功績に常に感化されてきました」




少年時代に会津工場でかくれんぼ遊びをしていた和人も現在では45歳になった。彼はシグマの未来をどうするのか、その方向を探っている。

「新製品の開発には必ず技術革新による後押しがあります。私たちが目指していることは、ユーザーに特別で高性能な製品を提供していくことです。そのために、製品の品質向上には常に取り組んでいます」

近年発売されたシグマの製品はどれも、高度な職人技と斬新な設計の両方を備えるものばかりだった。和人は品質こそがシグマの生命線であり、会社の将来を左右する要素だと考えている。高品質路線を推し進めることで、ユーザーとの間に信頼関係を構築でき、それがさらに革新的な製品を生み出す糧となる。2012年のフォトキナで和人はグローバルビジョンの発表を行った。彼は言う。

「私たちは新しい方向に進もうとしています。グローバルビジョンによって、写真家がレンズを選ぶことが用意になりました。また、一眼レフのポテンシャルを最大限に発揮できるようになります。レンズの選択が容易になっただけではなく、これまでよりも簡単に機材の操作や調整ができるようになりました。また、これまでよりも高品質の製品を製造できるようになったので、ユーザーの高い欲求に応えることが可能になりました」





グローバルビジョンのレンズは3つのラインからなる。アート・スポーツ・コンテンポラリー。シグマのレンズはこの三つのラインのどれかに分類されるので、自分が使っているレンズがどのようなコンセプトなのか、そしてある写真を撮るのにどのラインが向いているのか、すぐに分かるようになっている。グローバルビジョンのレンズには、世界初のF1.8ズームである18-35mmF1.8、鏡筒を新しく作りなおした120-300mmF2.8、そして、キヤノンやニコン、ソニーのライバルを凌ぐ性能を持つ35mmF1.4などがある。また、USBドックとSIGMAOptimization Proを使うことでカメラとレンズを接続し、ピント調整や設定の変更ができるようになった。これは画期的な商品だ。

また、グローバルビジョンのレンズはマウント交換サービスが利用できる。これによって、システムを変更したとしても自分が使っているレンズをそのまま他のマウントで使い続けることができるのだ。グローバルビジョンのレンズはさらに拡充を続けており、ミラーレス用にDNシリーズも発売されている。さらに追加情報として、グローバルビジョンのレンズは全て4年間の補償が付いている。これもシグマがすべての製品にきちんと責任をもつという姿勢の現れだろう。



18-35mm F1.8 DC HSM Art

シグマのグローバルビジョンレンズの一つ。このレンズはAPS-Cサイズのセンサー専用だ。世界初のF1.8ズームレンズであり、世界中の批評家からこれまで作られたレンズの中で最高のものの一つと評価されている。



インタビューも終わりに近づき、それまでに聞いた多くの話を整理しきれずに、考えがまとめられないでいた。それでも、最後に一つだけどうしても尋ねておきたかった質問があった。シグマの製品や革新的な技術について多く質問してきたが、一度もシネカメラについて話をしていなかったのだ。シグマの保つ技術を使用すれば、ハイエンドなデジタルビデオカメラ用のレンズが作れるのではないだろうか?動画撮影が要求する水準は高いので、シグマにとっても有力なマーケットになりうるのではないだろうか?私がこの質問を投げかけると、和人はゆっくりと微笑み、多くのジャーナリストがほぞを噛む、例の言葉を口に出した。

「ノーコメント」

ひょっとするとシグマには、隠された何かがまだあるのかもしれない。




シグマの終わらない物語


50年前に設立された時、シグマは日本で一番小さなレンズ製造会社だった。それから時が経ち、現在では世界最大の高品質な交換レンズメーカーであり、ニコン、ソニー、オリンパス、キヤノン、ペンタックスのそれぞれのボディに合うレンズを製造している。

フォビオンX3イメージセンサーを製造していたフォビオン社を2008年に買収すると、シグマはフラッグシップであるSD1MerrillDPMerrillシリーズなどの、特徴のあるカメラを製造してきた。RGBそれぞれに対応する素子を垂直に配置することで、フォビオンX3センサーはそれぞれのピクセルで正確な色の情報を取得できる。その結果、高解像度でありながら豊かな色彩を持ち、立体的を感じられる写真を撮ることができる。これは他の全てのメーカーが使っているCCDCMOSといったセンサーにはない、優れた技術だ。





シグマの規模と市場でのシェアは拡大を続けているが、今でも同族経営のままである。元々は協力企業を助けるために作った会社だったので、道広は会社を自分のためのものとは考えていなかった。当時の彼には、シグマが今日のような国際的に競争力のある成功した会社になるとは、夢にも思わなかっただろう。シグマ研究所という小さな会社が、カメラ業界に革新を起こすようになると想像するのは難しい。

しかし、その設立当初から、シグマは斬新で高品質の製品を、手頃な価格でユーザーに提供することを最優先事項に置いていた。CEOの山木和人と話をする中で、私は道広の遺した美しい職人技と発明の才が、正しく受け継がれていると感じずにはいられなかった。山木和人にとって、シグマはただの商売ではない。それは、深く根付いた情熱そのものだ。

別れ際に、私はカメラ産業がこの先10年でどのように変わっていくのか尋ねた。彼の返事は簡潔なものだった。

「人々の写真への愛情は変わることはないでしょう。技術的な面ではこれからも変化し続けるでしょう。しかし、写真文化そのものは、過去200年もの間続いてきたのですから、今後も変わりません。私たちはただ、写真そのものに貢献していくだけです。皆が今写真を楽しんでいるそのあり方を私たちも尊重し続ければ、シグマはこれからも新しい製品を発売し続けられるでしょう」



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